いとしい傷痕
少しずつ、少しずつ距離が近づいていく。

まるでスローモーションの映像を見ているみたいに、一歩一歩が永遠のように長く感じられた。


リヒトは私に気づかない。

私は彼の視線を独り占めにしている彼女をじっと見つめた。


それほど化粧をしているようでもないのに、きめが細かくてぬけるように色白の綺麗な肌、そして淡い薔薇色の唇。

黒瞳がちの大きな双眸。

彼女がリヒトを見上げるために首をかしげると、まっすぐに胸元までのびた艶のある黒髪が、さらさらと揺れた。


綺麗な人だ。とても。


この前のモデルのように、自分が他人よりも綺麗なことを熟知していて、それを引き立てるように着飾った美しさではなくて。


ひどく控えめで、今にも壊れそうに儚げで、

でも、とても透明感があって、内面の綺麗さが滲み出ているような、思わず目を惹かれずにはいられない美しさだった。


彼女は適度な距離を保ってリヒトの隣を歩いていて、自分の領域に他人から踏み込まれることをひどく嫌う彼のことを、彼女はよく理解しているのだと思った。


リヒトはいつものように飄々とした様子で歩いていたけれど、押し寄せてくる人波からさりげなく彼女を守っているのが私には分かった。


どくっと心臓が嫌な音を立てる。


あと少しですれ違うというとき、私はとうとう口を開いた。


「……リヒト」


都会の雑踏の中では、一メートル先にも聞こえないくらいの小さな声で、呟いた。


それでも、リヒトは眉をあげてまっすぐにこちらへ目を向ける。

やっぱり彼には私の声が届くんだ、と喜びを覚えたのも束の間。


「レイラ」


歌うような声でリヒトが言った。

彼女が目をあげて、すこし微笑みながら彼を見上げる。


次の瞬間、リヒトは流れるような動作で彼女の顎をつかんだ。

そして、彼女に覆いかぶるようにして、迷いなくその薔薇色の唇に口づけた。


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