主任は私を逃がさない

 涼し気な目元がほんのり微笑み、黒い瞳の奥に妖しい色がチラチラと揺らめいている。

 私の嗅覚が、史郎くんの体から発する匂い立つような男の色香を感じた。


「俺からのアプローチを上手くあしらってみせろ。でも、できるか? 俺は本気でお前を落としにかかるぞ?」


 忙しく鳴り続ける自分の胸に、どう対処すればいいのか分からない。

 私に囁く彼の声は、甘くて、思わせぶりで。


「どんな男にも落ちない自信があるんだろ? なのにもしお前が俺に落ちたら……」


 そして彼の親指が私の唇をゆっくりとなぞる。

 生々しく感じる史郎くんの親指の感触と体温に、身動きができない。


「お前は俺のものだ。俺と結婚しろ」


 目を閉じることもできずに混乱している私とは裏腹に、彼は綺麗な目をそっと閉じながら顔を近づけてくる。

 そして親指越しに、史郎くんの唇が私の唇と重なってしまった。


『ドクンッ!』と大きく鼓動が弾ける。

 親指越しだから、実際これはキスなんかじゃない。

 なのに松本さんとした本物のキスの何倍も、私の心臓は高鳴ってしまった。


 見開かれた目に映る、緩やかにウェーブした黒髪。

 頬にかかる彼の熱い息がしっとりと皮膚をくすぐって、私は硬直してしまう。


 史郎くんは男の匂いを漂わせながら、この状況を味わうように何度も角度を変えて唇を寄せてきた。

 模倣のキスだからこそ余計に妖しく、危険に感じてしまう。

 まさか史郎くんにこんなことされちゃうなんて……。

 頭の血管がギュウッとなるほど血が集まって、心臓がすごい速さでドキドキ鳴って、クラクラと眩暈がした。

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