主任は私を逃がさない

「勝負ありだ。陽菜、落ちたな?」

「……!」


 その言葉に、私は夢から醒めたように両目を見開いた。


「俺のキスにあんなに本気で応えておいて、まさか否定はしないよな? この勝負、お前の負けだ」


 私の、負け? ……『負け』……?

 身を固くして彼のスーツの襟をギュッと握る私の頭上から、笑いの混じった声が降りそそぐ。


「いやあ、今回の勝負は俺も結構必死だった。婚約破棄なんてことになったら面目丸潰れになるところだったからな」


 言葉で言い表せない嫌な感覚が、ザワザワと悪寒のように背中を駆け抜けた。

 これまでの幸福感が嘘のように消え去って、代わりに冷たい不安が全身を襲う。


「さっそく陽菜のご両親に報告しよう。ああ、その前に髪も化粧も全部元に戻せ。俺の監督不行き届きを責められるのはゴメンだからな」

「…………」

「陽菜、ちゃんと聞いてるのか? 勝負に勝ったのは俺だ」


 誇らしげな勝利宣言。

 史郎くんの声は間違いなく勝者の愉悦と、予定通りに事が運んだ安堵感に満ちていた。

 その声を聞きながら、血の気がスーと引いていく。

 同時に大事な何かがストンと抜け落ちてしまったような、大きな虚脱感に足が震えた。

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