起案者へ愛をこめて【ぎじプリ】

 書類をめくりながら『彼』をしっかり支えている主査の横顔を見た。

 真面目に内容をチェックしているだけで、表情は全く変わらない。

 やっぱり、私と『彼』の妄想だったんだろうと思いはじめたその時。

 
「今日は定時退勤日ですよ~。早く帰ってリフレッシュしましょうね~」

 という、事務長の呑気な声がフロアに響いた。

 同時に、みんなが一斉にパソコンをシャットダウンする音、机の引き出しを開ける音、ロッカーへと急ぐ足音で賑やかになる。


 そうだった、今日は早く帰らないと上から指導されちゃう、と思い出したのと同時に、主査が私の方へ顔を向けた。


「だいたいOKだ。上に回しておくけれど、一か所だけ訂正。「頂く」ではなく「いただく」にすること。公用文の使い方はまだまだだな」

「はい……すみません」

「ところで、小野は公用文辞典持ってるのか?」

「いえ、使う時に職場のものを借りてますけれど」


 私が答えると、主査はちょっとだけ眉根を寄せた。ああ、また叱られちゃうんだろうな。ケチらずに買っておけば良かった。


「あれ、古いんだよ。言葉は生き物だから、辞典は最新のものを自分で買って持っているべきだ」

「そうなんですか……」

「よし、今日は定時退勤日だし、これから本屋へ行くぞ。公用文辞典と一緒に、仕事で使える本を買ってやる。そのまま飯食いに行ってもいいけど、どうする?」


 え、え、えええ~~~~!!

 この職場に勤めはじめて早8か月。初めて主査から誘われた。

 公用文辞典、買わなくて正解、だったかも。

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