七色の空

まゆら

チャプター78
「冬を越えれば」

「まゆら」は福生が東京に出てきたばかりの頃、福生が働いていた仕事場の近くにあった保育園の保母さんである。その職場は、障害をもった人達が働けるよう、区が運営する障害者施設の1つで、仕事はリサイクル品を扱う内容のものだった。月に数度、近くの保育園児が手伝いにくることで、福生はまゆらを知ることになった。
その当時でまゆらは20代前半ぐらいだったので、今は30を越えているだろう。その頃のまゆらを福生の印象をもとに説明するなら、質素で都会の女性らしさには欠けていたが、美しく長い髪と少しハーフっぽい顔立ちで、子供達と笑顔でたわむれている姿が、福生の知らない母親の理想像に近いものだった。
 福生は期待と夢を胸に上京した。そんな福生が、目の前に現れた素敵な女性に恋心を抱くのは、あまりに容易いことであった。福生はしばらくして、保育園と関わりをもつようになり、当時保育園で飼育していたウサギの小屋掃除を手伝うようになる。小屋で飼っていた7匹のウサギの内2匹は、まゆらの所有するウサギだったので、福生とまゆらは直ぐに仲良くなった。まゆらは福生に対して実に誠実に接したので、福生はそれまでの生い立ちなども総て明かし、存分に心を開くことができた。
しかし、そんな二人の関係に劇的なことは何もなかった。福生が一方的に想いを募らせる日々を送るだけで、まゆらの人生に介入することは有り得なかった。 まゆらが通り過ぎたあとには、芳しい香りが福生を包んだ。福生はその匂いが好きだった。
今でも、時折その素敵な思い出は福生を切なくさせる。いたって普通の女性がキラキラして見えたあの頃は、福生にとって貴重な過去だ。過去を振り返らない福生の精神に否定することなく忍び込み、今も消えることがない。キラキラして見えたのは、否定する必要のない圧倒的な美をそれがもっていたからだ。
 春の桜を汚いと思う必要はない。それは、福生にとっても同じこと。
今年の冬を越えれば、また桜が咲く。その桜をみれないことが、福生には少し残念だった。まゆらが福生の前からいなくなった時も、よく似た気持ちが、福生の胸を締め付けた。
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