身代わり王妃の恋愛録
無事、採寸やら注文やらを終え、お店を後にしたのは午後4時を過ぎてから。
世間話に花が咲き、延々と続くおば様の話を聞いていた私は疲労困憊。
まあ楽しかったから良いのだけど。
あのお店は、皇太后様が贔屓にしていたお店で幼い陛下も度々連れてこられたらしい。だからエレナリー夫妻は陛下を可愛がっているみたいだ。
先ほど同様、陛下は私の手を握って歩いているけど、緊張とかドキドキとかそんなのはまるでない。どちらかと言うと私は笑うのを抑えるので必死。
だって陛下が坊っちゃまって…。
「ふっ…ふふ…」
一生懸命笑うのを抑えるも、難しい。この無愛想な陛下が、昔は坊っちゃまと呼ばれて笑っていたそうなのだ。あまりにも今の陛下と結びつかなくて笑える。
「…いつまで笑っている」
「ご、ごめっ…だってアルさんが坊っちゃまって言うのが結びつかなくて…ふっ」
「……」
けど、坊っちゃま呼びをやめるように言わないあたり、陛下は優しい。
子供がいないというエレナリー夫妻は陛下を自分たちの子供のように見守ってきたのだろう。そしてそれがわかるから陛下も何も言わないのだ。
そんな人たちの気持ちに触れ、陛下の態度を見て…やはり私は思う。
「私で良かったのかな…アルさんの奥さん…」
一月陛下の妃として周りを騙すなんて訳ないと思っていた。けれどそうでもなかったらしい。
陛下が奥さんを迎えることを心から喜んでくれる人相手に、嘘を吐くのはひどく心苦しい。
ミレイの演技をしているから、完全に騙しているのとは違う気もするけど、やっぱり私はミレイじゃないし、あんな風に喜ばれるのは心苦しい。
「…お前のせいじゃない」
陛下はそう言って私の腕を引っ張ると、少しだけ2人の距離を縮めた。握った手に少しだけ力を込め、陛下は私を見下ろす。
寂しそうな、心配するような優しい目だった。
「…苦しいか」
「…少しだけ、ね…。ごめんね、弱音を吐くつもりはないの。自分の宿命だとわかって、納得もしてるし」
私は甘えるのが得意じゃない。人に弱みを見せるのも好きじゃない。
本当の私は可愛げがない。それをミレイとして、必死に演じてる。客観的に見れば愚かで、ひどく滑稽だ。背丈や容姿は似ていても、私はミレイになりえない。そんなことわかってる。
陛下は何も言わずにただ歩く。たぶん帰り道とは逆の方向に。
もしかしたら、私の愚痴を聞いてくれようとしてくれているのかもしれない。
私の都合の良い解釈かもしれないけど、陛下は何も言わずに私の話に耳を傾けてくれている。
「ドレス、素敵だったね」
だから私は、当たり障りないことを話すことにした。
自分の心の痛みに気づけば、人を騙すのが辛くなるから。
私はミレイじゃない。陛下の本当の奥さんでもない。
だから私は、今この瞬間だけ、陛下の時間をもらって陛下の優しさに甘える。
でももうこれっきり。よく考えれば出会ってまだ数日でよくここまで陛下に甘えてると自分でも呆れる。
女の子が夢見る“恋”だとか、“愛”だとか、そんなんじゃない。けど私はもう陛下が好きで、その優しさに甘えてる。
それに慣れないように。
自分に言い聞かせ、その胸に刻み込む。
「アルさんは優しいね」
ふいにそう言えば陛下は立ち止まって少し驚いたように私を見た。けれど小さく息を吐き、無表情に戻ると、何の感情もうつさない目で私を見つめて口を開く。
「…それはお前の都合の良い解釈だろう。俺は…お前にそう言われるような優しい男ではない」
少しの諦めと寂しさを含んだような声だった。
そんな気がした。