身代わり王妃の恋愛録
「いらっしゃい…ませ」
決まり文句をなんとか最後まで言い切った私はラストオーダー十分前に訪れた客を改めて見た。
私と同じ青の瞳をめいいっぱいまで細め、口元に胡散臭い笑みを浮かべる男は私を見て嬉しそうに口を開く。
『やあ、僕の大事な大事な愛娘。会いたかったよ?』
現れたのは私の父だ。久しぶりに聞いた母国語だけれどちっとも嬉しくない。なんでここに現れたのか。意味わからん。
本当は色々問い詰めたいけど、私がこの男に口で勝てたためしが無い。どうせはぐらかされる。
ついでに私は仕事中だ。私情を挟まない。この人はお客様、この人はお客様…。
私は頭の中でそう念じながらにこやかに微笑む。若干口元が引き攣っているような気もしないでは無いけど、まあ気にしない。
「一名様ですか?ラストオーダー十分前ですがよろしいでしょうか」
『僕は君を冷やかしに来ただけだからね。構わない』
私はおもむろに扉を開け放つと、胡散臭いその男をつまみ出した。
時間と労力を無駄にしてしまった。はぁ。
手をパタパタ叩きながら戻った私は、一部始終を遠くから見ていたらしいアリアに捕まった。
「あのお客様は?」
「冷やかしだって」
「は?」
「本人がそう言ったんだもん。アリア、あんなのを相手にしちゃ「ほう。君がこのお店の店長さんかぁ。いつも僕の娘がお世話になってます」」
口元が引きつるのがわかる。さっき追い出したのに。
「え。娘?」
アリアは呆然とうちの父を見上げた。
180センチほどの身長、緩く弧を描く口元、細められた青の目、緩く一つにまとめられた肩程まである淡い金の髪、その全てがもう胡散臭い。
こんな胡散臭い男を父だと紹介したくない。これでもシャーレットでは名門のクラウシア公爵家の当主で、女王より武術に長け、世界各国のいろんな機関と通じるありとあらゆるパイプを掌握するものすごい人らしいのだけど、とてもそうは見えない。実際にそんなすごいところを私は見たことないし。
「店長さん、アップルパイとブレンドをお願いしても良いかな」
「え。あ、はい、かしこまりました!」
アリアはハッとすると厨房へと消えた。取り残された私はとりあえず席に父を座らせ、睨みつける。
「…よく私の前に姿を現せたね?」
あんたが女王に私を差し出したくせに!そんな文句を込めて私は睨みつける。
けれどこの男は少しも悪びれない。それが腹が立つんだけど。
「僕はただ、大事な愛娘に幸せになって欲しかっただけなんだけどなぁ。アルは良い男だろう?」
「へい…アルさんのこと、知ってるの?」
「え?逆にお前はなんで知らなかったの?」
「え?」
どういうことだろう。意味がわからない。陛下は良き王としてその名を大陸に轟かせている。若く、美しく、そして文武両道な王様…そんなの有名だ。なんで“知らない”なんて言われないといけないのか、私にはわからない。
と、いうか何故父が陛下のことを愛称で呼んでいるのか。
「へえ!面白いことになってるね!そうかそうか」
突然嬉しそうに父はそう言った。いつもより機嫌が良さそうだ。
「は?」
なんで一人で納得してこんなに楽しそうなのか、私には皆目見当もつかない。
「…私は仕事に戻るから。くれぐれも人様のご迷惑にならないように…とっとと帰ってね」
実の父だけれど相手にするのも面倒だ。仕事に戻ろうと背を向けた私だけど父は少しも気にしない様子で私に話しかける。
「おやおや。お前は相変わらずつれない。せっかくはるばるやって来たというのに。もっと素直に本心をさらけ出しても良いんだよ?」
演技めいた口調でそういい、両手を広げた。ほんとに、何もかもが嘘くさい。
「…何を言うのかと思えば。まさかそんなことを言うためにここに来たわけじゃないよね?」
て、いうかどうやってアルバイト先を知ったんだ!
そう叫びたいのを我慢して私は再度父と向き合った。
「ははっ!当然じゃないか。僕はお前の様子をこの目で確かめたくて見に来たんだ。実際に目にして安心したよ。楽しそうで何よりだ」
「…」
「きっとアルが良くやってくれてるんだね。僕は嬉しいよ。…愛娘、自分が望むように生きなさい。たまには自分の意思を貫いたって良い。アルにも伝えなさい。僕は君たちの味方だ。諦めるな、抗え…とね」
珍しく両目を開けて、父は私に真顔で言った。何を見越して、何を思ってそう言ったのかはわからない。けれどそれはこの先訪れるであろう苦悩を予言しているようで、決して気分が良いものではない。
ついでに回りくど過ぎて何について言っているのかもわからない。
「…それは「その言葉、俺が伝える」」
後ろから腕を引っ張られ、私はソラの腕の中に倒れこんだ。思ったよりちゃんと受け止めてもらえた安心感と、いきなり何するんだという憤りが渦巻く。
「俺も…多分アナタと同じこと願ってるから」
「なるほど。近くに君のような頼もしい子がいてくれると僕も安心だ。名前を聞いても良いかな」
「俺はソラ。この国の裏で暗躍する有能なる主の僕で、ここにいる姐さんの護衛」
「そうか。君にも僕の娘が世話になっているようだ。何を間違ったのかこんなじゃじゃ馬娘になってしまったが…よろしくしてほしい」
珍しく父親らしいことを言った父は、ソラが持ってきたアップルパイを一口食べた。
「おや?懐かしいね、この味。たしか…“スーパーアップルパイ”だったかな」
そう私に問う父だけど、私には意味がわからない。
“スーパーアップルパイって何?”
そう聞き返そうとしたけど、結局私は聞けなかった。
けれどその単語はなんだか懐かしい響きを帯びているような気がした。
けど…“スーパーアップルパイ”そのネーミングはどうなの…。