身代わり王妃の恋愛録
「ふっ…ふふふ…ふふふふふ」
突然部屋に響く笑い声。当然ながら私でも陛下でもない。私は静かに皇太后様が落ち着くのを待った。皇太后様は楽しそうに笑い転げ、最終的に目尻に溜まった涙を美しい所作で拭った。
「ごめんなさい。でもまさかこんな反応が返ってくるとは思わなくて。ふふふふふ」
「あ、あの…」
「意地悪してごめんなさいね?どんな子か試すなら意地悪するのが一番でしょう?面白い子で安心したわ。自己紹介がまだだったわね。知ってると思うけど私はグレイス。グレイス・シャーレット・セレスディ」
シャーレット…その名はシャーレット王家の人間が名乗ることを許されるはずだ。
私はあまり王家や貴族に興味がない。だから家系図とか親族とか全然覚えてない。10歳の頃一度見たきりだ。
グレイス…グレイス…グレイス…見たことある気はする。けど…わからない…。
「レイラとは従姉妹同士。そして旧姓はクラウシア。まあ知ってるわよね」
かろうじて口を開けるのを我慢する。理解した。どこに名を連ねているか、わかった。
間違いなくミレイなら知っている事項だ。驚くのは我慢だ。我慢、我慢…。
レイラとはシャーレットの女王。クラウシアは現在父が当主の公爵家。
簡単だ。父と女王がいとこ同士で幼馴染なのは知っていた。けれどたぶん幼馴染だったのは父と女王というより、この人と女王ということだろう。
似てるとは思ったけど…父のお姉さんらしい。要するに私の伯母さんで…あれ?私って陛下と従兄妹同士なの!?
訳がわからなくなってきた。何を言えば良いんだろう。
「もちろん、存じております。ですがお会いするのは初めてですよね」
「ずっと会いたかったのだけれどね…」
話の方向性が分からなくなってきた。私はなんて言おうか。どう反応しようか…。
「母上、彼女が困っています。そろそろ失礼しても?」
陛下がナイスなタイミングで助け舟を出してくれた。助かった…。
「まあ!アルちゃんったらそんなことを思っていたというの?女性のお喋りは男には理解できないとはいえ…悲しいわ」
…アルちゃん。衝撃的な呼び方だ。まあ、坊ちゃまって呼ばれてるのを聞いたことがあるからなんとか耐えられるけど。
思い出したらまた笑いそうだ。我慢我慢…。
「貴女のお喋りとやらには際限がない。付き合うこちらは疲れるんですよ」
「もう!昔は優しくて良い子だったのに!ウェルナーの影響ね!性格悪くなっちゃって…。悲しいわ。こうなったら孫に期待、かしら?」
演技をやめた彼女はなかなかお茶目な人だ。私の所作に70点をつけた人とは到底思えない。思い出すと悲しくなるな…70点。あとで陛下に確認してもらわなくちゃ…。
おっと。さらっとスルーするところだった。今のはミレイなら真っ赤になって恥ずかしがるところだ。私は両手で自らの頬を押さえると俯いた。
「が、頑張ります」
なんて恥ずかしい演技なんだろう。痛い。もう私ってばどこまでも痛い女子になってる。穴を掘りたい。もういっそ埋まってそのままいたい。
恥ずかしさのあまり横目で陛下の様子を確認すると、陛下は前髪をかきあげていらっしゃった。気分は良くないらしい。ここは私が頑張らなくては。
今度は、わかりやすく陛下の方を見て、両目に涙を浮かべる。そして、心配げに言った。
「アルフレッド様、大丈夫ですか…?また、お加減が良くないですか?」
私はわざと皇太后様に陛下の体調があまり良くないことを伝えるように言った。陛下もそれに気づいて息を吐いた。
「すまない、ミレイ。問題はない」
「ですが……。こ、皇太后様、アルフレッド様は昨日まで熱で動けなかったのです。今は病み上がりで疲れてしまったのだと思います」
フォローを入れとく。さっきは陛下に助けられたし。
「アルフレッド様は皇太后様にしばらく会えていないことを気になさっていました。今日急遽ここに参上したのはそのためなのです」
「…そう。ならあまり長引かせるわけにはいかないわね。お茶を持ってこさせるわ。それと貴女の椅子も変えてもらいましょう。疲れたわよね、ごめんなさい」
「いえ。わたくしは大丈夫ですから」
「でも貴女「今日はもう帰ります」」
陛下が皇太后様の発言を遮って立ち上がった。正直、マナー違反で話はあるけれど、陛下はもう疲れてしまったのだろう。
皇太后様は少し驚いた様子で陛下を見上げている。私はその綺麗なお顔に思わず見惚れてしまった。
「まだ来たばかりじゃないの」
「熱を出し、公務を滞らせてしまいましたので。本日はミレイの顔を見せに来ただけですから」
「つまらないわ。ねえ、貴女、今日はここに泊まっていかない?」
皇太后様は私に視線を向けた。悪戯めいた笑顔を浮かべて、私の返答を待っている。
その表情は陛下と似ていた。そりゃ親子だからそうなるだろうけれども。
美しすぎる2人と平民な私。
…世知辛い世の中だ。
「…?どうかしたの?」
皇太后様が私の顔を覗き込んだことで私はハッとした。また見惚れモードに入っていたらしい。
「も、申し訳有りません。その…皇太后様があまりにお綺麗で…見惚れました」
「…ふふっ。正直な子ね。これはアルちゃんも惚れるわね」
「え、あ、あの…?」
余計なこと言わないでほしいです。後が怖いので。陛下は私ごときに惚れてませんよー。
否定したいのにできないのが切ない。
「滞在して欲しいのだけれど。アルちゃんはそれを許さなそうね」
陛下は静かに皇太后様をにらんでいた。それを横目で確認して、皇太后様は茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
「困ったことがあったらいつでもいらっしゃい。というか週に一度は顔見せにいらっしゃい。体調が芳しくないなら仕方がないけど…」
「で、ですがアルフレッド様はお忙しいですし…そんなに頻繁には…」
「何言ってるの。私が貴女を気に入ったのよ。あんなに笑ったのは久しぶり。今日はアルちゃんのせいでお喋りできなかったけど、次はたくさんお喋りしましょう。美味しいケーキを用意しとくわ」
本当にあの性格の悪い父のお姉さんだろうか。良い人だ。やっぱりこういう人相手に演技を続けるのは辛い。本当に…。
あれ?そういえば…。さっき皇太后様は陛下の性格が悪くなったのはウェルナーのせいだと言った。ウェルナーは私の父だ。一体どうやって陛下が私の父の影響を受けるというのだろう。
「2人のこと、聞かせてほしいわぁ。アルちゃんが2人きりの時にどうやって貴女に甘えるのか…ちゃんと自分の気持ちを言葉にするのか…スキンシップはどのくらいあるのか「いい加減にして下さい、母上。…ミレイ」」
突然背後から陛下に手を掴まれた。そこでようやく私は現実に引き戻される。
「陛下…」
「また来てちょうだいね」
皇太后様はひらひらと手を振って私達を見送ってくれた。
「良い人だね」
「…最後のが本性ならな…」
訪問を終えた後の陛下は未だかつてないほどにげっそりしていた。