身代わり王妃の恋愛録
じゃあ私、こっちだから…。
そう陛下に告げ、別れたのは一体何時間前だったか。城に戻ってきた私はマナーの教本を探すべく書庫に来ていた。
国のすべての書物が置いてあるこの書庫ならマナー教本くらいあるだろう。そんなノリだったけどありすぎる。20も30もあったところで誰が全部読むというのか。まあ20冊までは読んだんだけどね。
けれど困ったことに自分の悪い点が見つからない。陛下は相当疲れたのか少し仮眠をとると言っていたし。睡眠の妨げにはなりたくない。
「やっぱり聴けば「いつまでこんなところにいるつもりだ」」
「ふあっ!」
背後からの突然の声に私は反射的にしゃがみ込む。どうしてみんないつも背後から現れるんだろう。おまけに陛下の場合、どこの隠密なのか気配を消してるからタチが悪い。ご丁寧にいつも足音もない。
「…気配を消して現れないでよ…!なんでご丁寧に足音までさせないの…っ!」
陛下に立たせてもらった私は思わず陛下を睨みつけた。けれどすぐに顔色が優れないことに気づく。顔色が悪くたって綺麗なもんは綺麗なんだけど、少し陰りが見える。
「あ、あれ。顔色が悪い?大丈夫?」
私はとっさにひざ掛けに使っていた掛布を陛下の肩に被せた。この部屋は寒いわけではないと思う。本を保管する場所なだけあって湿度も温度もしっかり管理されているのだ。
「無理しないで」
何も言わない陛下に、私が続ける。陛下はただ黙って私を見下ろしていた。うんともすんとも言わない。
「陛下…?」
「…無理をしているのはお前の方だろう。こんな時間まで何をしている。お前の大好きな夕食を逃したこと、気づいているか」
まくしたてるように陛下は早口でそう喋った。
夕食を逃した…陛下の言葉を頭の中で反芻する。時刻を確認すると午前0時を回っており、もう1時になる。
ショックで倒れそうだ。美味しいお城のご飯を一食逃しただなんて…。
「集中力があるのは結構だがありすぎだ」
「ごめんなさい。2人に慣れると1人で食べる食事って味気ないんだよね」
「…気にするのはそこか」
陛下はまた小さく息を吐いた。ひどくお疲れのようだ。そりゃ、病み上がりだしね。そういえば行き先も告げてなかったっけ。
探してくれたのだろうか。もしそうならちょっとだけ嬉しい。
「…何をしていた。いや、聴くまでもないか。…70点と言われたからか?」
陛下はお見通しらしかった。ミレイの顔を潰した、陛下の顔に泥を塗った…体裁を気にするふりをしてはいるけど、実際のところ私は悔しくて仕方がない。申し訳なさよりも悔しさが勝っている。
「悔しいよ……。泣き寝入りなんて。また来ても良いと言ってくださったんだもん。次は完璧な所作を見せたい…ぎゃふんと言わせたい…」
「…」
陛下は息を飲んだ。そして再度私を見下ろす。
「あの人に70点と評された人間は初めて見た」
倒れそうになった。そんなに私は不出来な影武者なのだろうか。周りを騙せてたと思ってたのは勘違いなのではと不安になってくる。
「…不出来な(仮)妃で「違う」」
「今までの最高点は俺の知る限り47点だ。ずっと50点満点だと思っていた」
「えっと…」
「言っただろう。あの人は性格が悪い。70点はかなりの高得点だ。見る限り、お前に不備はない。あの人の性格が面倒なだけだ」
「…もしかしなくても励ましてくれてる?」
私の率直な疑問に、陛下は小さく息を吐いた。この人はこういうのは苦手なんだと思う。
「…思ったことを…言っただけだ」
「そっか…。ありがとう」
「気になるなら手伝う。…言っただろう、俺を利用して構わないと。……思ったことは言え。1人で悩むな」
陛下の言葉に胸が温かくなると同時に、ちょっとだけ迷う。甘えても良いのだろうか。私は偽物で、ミレイじゃない。普段から迷惑かけているし、陛下に利益をもたらしたことなんて1度だってない。この国のためになることをした記憶もないし。要するに私はこの身ひとつで陛下の味方になることしかしてあげられない。
こんな風にうじうじ悩む自分が嫌いだ。ミレイなら可愛らしく甘えられるのに。
「…やっぱり陛下は優しい」
今はそう言うので限界だった。甘えるのが怖い。いや、違う。甘え慣れてしまうのが怖い。いずれ離れるのだから…この生活に慣れてはいけない。
どうしてだろう。この国に来たばかりの頃はちゃんと線引き出来ていたはずなのに。今はその線が曖昧だ。
もう1度ちゃんと線を明確にしなくちゃ。ミレイと入れ替わったら多分私はもう陛下と会えないだろうし。陛下に甘えることに慣れちゃいけない。陛下を好きになるなんて以ての外だ。
今私がこの国にいるのは女王の命令で“仕方なく”。私が望んでいることじゃない。私は“知らない男の人と生活するなんて嫌”なんだ。早く帰りたい…はずだ。
なのに。言い聞かせた心は縛られたように痛くて窮屈だ。
陛下との距離感が掴めない。わからない。嘘をついたように心が痛い。
「ずるい、なぁ」
そんな呟きは陛下には聞こえなかったはずなのに。
「…お互い様だ」
そんな呟きを返すなんて…やっぱりずるい。