身代わり王妃の恋愛録
苦い思い出のある乗り合いの馬車に揺られること数十分。
そしてそれから陛下に手を引かれて歩くこと数分。たどり着いたのは、白を基調としたインテリアが素敵なカフェだった。
私も何度か来たことのあるここは、女性客が多く、男性客は大抵女性連れだ。リーズナブルな価格設定なのにとても美味しいと、貴族もお忍びでくるほど。私は知らなかったけど、どうやら国王様もお忍びで来てたらしい。まさかここまで有名だとは。
「…」
私はついつい陛下を見つめてしまう。
何で陛下はこんな可愛いお店を知っているのだろう。一人で入ったのかな。すごい勇気だ。
私が男ならたぶん無理だ。陛下すごい。まあ、陛下なら女装すれば超絶美人で通りそうだけど。ああ、もしかして女装して…?
「…違う。変なことを考えるな。…昔、友人に連れてきてもらったんだ」
どうして分かったんだろう。私別に何も言ってないのに。
そう思ったけど陛下はたぶん何も答えてくれないだろうからスルーすることにした。
「友人ねぇ。それってもしかして女の子?恋人?」
好奇心のままに軽く尋ねる私を、陛下は一瞥すると小さく息を吐いた。
「入るぞ」
そう言ってナチュラルに私の手を取った陛下は、店員さんに頼んでお店の奥の方に案内してもらい、手際よく私が食べたいものを注文してくれた。
「苺タルトのセットを二つ。ドリンクはホットコーヒーとアイスミルクティーで」
お店の人がいなくなった後、私は再び陛下をじっと見た。
「何で?何で?」
偶然とは思えない。きっと陛下は、私が苺タルトを食べるならお供はアイスミルクティーだと知っていたのだ。昔からの習慣をなぜこの人が。
「偶然だろう」
口元に薄い笑みを浮かべ、切れ長の目を悪戯っぽく細めた陛下は綺麗だった。けど気になる。というか、ここはちゃんと知っておきたい。はぐらかされちゃいけない。
「お前は、ここに来たことがあるか?」
何故だかただの質問じゃないと思った。たぶん陛下はなにかを確認したいのだと思う。
私は目を閉じ、記憶を辿った。
「…ある。もう亡くなったけど…ここの店長だったお婆様とは知り合いだった。優しくお菓子作りを教えてくれて…それはそれは素敵な…」
そこまで言って何となく違和感を感じた。
そう。素敵なお婆様だった。いつ来ても歓迎してくれて、大好きな苺タルトの作り方を教えてくれた。
大好きなお婆様だったはずだ。けど、陛下に訊かれる今の今までそのお婆様のことを忘れていた。すごく大切で大好きだったお婆様のことなのに。
「…おい」
陛下に手を握られ、はっと顔を上げると、怪訝そうな顔の陛下がこっちを見ていた。
「…どうした?」
「…おかしいの。私、あんなに大好きだったお婆様のことを、陛下に訊かれるまで忘れてた。普通なら…せめてお店の前に来た時点で思い出さない?記憶力には自信がある。なのに…なんで…」
“お菓子の作り方をいつも優しく教えてくれた大好きなお婆様”。この記憶は残っているのにその描写が思い出せない。具体的な作り方も、大好きなお婆様の香りも、声も、顔も、ちゃんと覚えてるのに。何故だか、どんなシチュエーションで、どんな成り行きで作り方を教えてもらったのか、全く思い出せない。
「…陛下は…一人で来たの?」
「いや…八年前に一人の女の子に連れられて二人で来た」
そう答えた陛下の顔はすごく優しかった。たぶんこの前盗み聞いた“初恋の女の子”がその子だろう。
それにしても陛下をこんな可愛いお店に連れてくるなんて、すごい勇気のある女の子だ。
てか、子供のデートコースにしては洒落てる。センス良いな…。
「その時も苺タルトを?」
「…ああ。彼女はここの苺タルトを“スペシャル苺タルト”と呼んでいたな」
確かにここの苺タルトは美味しいけど…そのネーミングセンスはいただけないな。
なんなの、スペシャル苺タルトって。もっと良いネーミングは思いつかなかったの。
って…あれ?
私前にも心の中で似たようなツッコミを入れたような…。何だったか…たしか…えっと…。
「…そうだっ!スーパーアップルパイ!」
父が口にした“スーパーアップルパイ”という単語に、私は心の中で同じようなツッコミを入れたんだ。
一人で納得して、顔を上げると、何故だか陛下は眉間にしわを寄せていた。
「…どうしたの?」
「…その名をどこで?」
「…えっと…ち、クラウシア公爵が前に言ってたんだけど…アルさん、知ってるの?」
「知ってるも何も…その名は「お待たせいたしました」」
陛下が呟くように言った言葉はタルトを持ってきてくれたお姉さんの声によってかき消されてしまった。
けれど私は確かに聴いた。
“その名は彼女のお手製アップルパイの名前だ”
陛下は確かにそう言った。