身代わり王妃の恋愛録
*10th Day*

とても長い時間眠っていたかのような怠惰感と共に、私は目を覚ました。二度寝をした結果寝過ごしてしまったかのような罪悪感と、すでに私の居場所がここにはなくなってしまったかのような不安、恐怖。

けれど指の先まで冷たくなっていくような、そんな恐怖はすぐに消える。左手はひどく冷たいのに、右手だけはまるで守られているかのように温かい。それが陛下の手と繋がっているからだと気づくのにそう時間はかからなかった。それに視界の先にあるのはここ数日で見慣れた天井だ。おそらく意識を失ってしまった私を陛下が連れ帰ってくれたのだろう。

また迷惑をかけてしまった…。自己嫌悪に陥りつつ、窓の外に視線を向ければ、外はもう明るくなってきていた。この感じだと7時そこらだろう。

陛下は私の眠る寝台に突っ伏すようにして眠っていた。

「へ、陛「行くな…っ!」」

私の声を遮るようにして、陛下は苦しげに叫んだ。今までに一度も聞いたことのないような、苦しげ…というよりは寂しそうな声。

その声は私の心臓を握り潰すようにギュッと苦しくさせる。

彼が求めているのが誰かなんて聴かなくても分かる。別に期待をしているわけじゃない。でもなぜだか…

「こんなにも…」

ー苦しい

そんな私の呟きは静かな寝室にこだませずに消え、私の心だけに止まる。

けれど私が感傷にひたっている場合ではない。眠いかもしれないけど、苦しそうにしている陛下を今現在夢の世界から救えるのは私だけだ。

「陛下!起きて?陛下ー」

軽く肩を揺する。すると陛下はゆるゆると両目を開けた。

「…何故、お前がここに…?」

「…え?寝惚けてるの?陛下、何言っ「黙って」」

陛下はそう言うと力なく立ち上がり、そのまま私に覆いかぶさるようにして倒れ込む。私は陛下の腕の中に完全に閉じ込められて唖然とするしかない。

なんで…どうしてこうなった?

「へ、陛下…?」

「…行くな………ィ…」

ただ、私は息を飲んだ。“アリア”とは違う名を、陛下はひどく優しく呼んだ。全部は聴き取れなかった。けど陛下が呼んだのは間違いなく誰かの名前で。

寝惚けてでも、その誰かと重ねられることがすごく悲しくて…あまりにも嫌で…。

「い、いい加減起きてっ!」

「っ!」

私の声に驚き、陛下の肩がぴくりとはねる。その隙を見逃さずに私は陛下の腕からすり抜け、距離を取った。別に陛下が怖かったわけじゃない。ただ、あまりにも悲しかっただけ。

ーもしかして陛下が私との生活を楽しいと言ってくれたのは私を誰かと重ねていたから?

それがあまりにも悲しくて辛い。まるで存在を否定されたようで。私の存在意義が無くなってしまったようで。怖くて怖くてたまらない。陛下にとっての私の存在価値が、“陛下の大切な人を思い出すもの”だとしたら?

もしも私が陛下を“やっぱり違う人間だった”と落胆させてしまったら?

私はここにいて良い人間ではなくなってしまうような気がする。それがあまりにも怖い。そう思うほどに陛下の隣は居心地が良い。

陛下は酷くバツが悪そうにただ私を見ていた。いや、たぶんいつも通りさほど表情筋は働いていない。でも陛下の目はいつも、雄弁に心情を語ってくれる。

「…悪い」

静かな声が部屋に響く。それは…いったい何の謝罪?抱きしめたこと?私に誰かの面影を重ねたこと?

ツーっと熱い何かが私の頬を伝った。それが涙だと分かったのは陛下が私の目元をそっと親指で拭ってくれたから。

泣いちゃダメ。少し前なら笑って“もう、寝惚けないでよね?”って言うところ。笑ってからかうところ。自分で自分に言い聞かせる。なのに口元が引き攣る。うまく笑えない。

「頼むから…泣くな」

陛下は再び、私の涙をそっと拭った。けれど涙は止まらない。

「ごめ…っ、ごめんなさい」

困らせちゃダメだ。余計に居場所がなくなってしまう。分かってるのに涙が止まらない。

「…私…ここにいて良いですか?」

ううん、違う。訊きたいことはそれじゃない。私が訊きたかったことはこんなことじゃない。

陛下は優しい。無為に私を傷つけたりしない。だから良いというに決まってる。でも、違う。そうじゃない。

陛下は何も言わなかった。ただ私の顔を自らの胸に押し付け、静かに頭を撫でただけ。
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