身代わり王妃の恋愛録
綺麗だ、声は聞こえないけれど口元は確かにそう動いていた。
いつもは緩まない表情筋も今日ばかりは少し緩んでいて。優しく細められた切れ長の瞳は私だけを映していて。
私は差し出された右手に静かに左手を重ねる。
今の陛下は一段と美しい。後ろに撫でつけられた前髪のおかげでその美しい御顔が拝見出来る。左目の下のさりげない泣きぼくろはセクシーだし、切れ長の瞳はどこまでも綺麗。
正装だという真っ黒いマントは陛下の淡めの髪や目をうまく引き立てているし、陛下の髪色とお揃いの刺繍も実に素晴らしい。
綺麗だ。本当に。
口元が緩むのも、頬が染まるのも許して欲しい。
「綺麗だな…」
そう言って陛下は私の手をそっと引いてそのたくましい腕の中に閉じ込める。
すでにすべての支度を終え、夜会の会場の入り口前まで来ている。当然周りには侍女女官の皆さんが控えているし、私と陛下の様子をうっとりと眺めている。
ゆえに演技をせざるを得ない。と、いうより意外と陛下がノリノリなおかげか自然に演技が始まる。おそらく彼も、隙を作って変な令嬢に擦り寄られるのも困るのだろう。美形は大変だ。
「い、いけません、アル様」
やんわり諌めるフリをしつつ、間違えてしまった風に愛称を呼ぶ。今私たちを見ている人たちはほぼ女性。女性の情報網はすごい。それを利用しての仲良しアピールはおそらくうまくいくだろう。恥ずかしいけれど、陛下の今後の安寧を思えば安いものだ。
「そうだな…。……止まらなくなる」
口元に大きく弧を描き、陛下は妖艶に言う。
そのあとわざとらしく音を立てて私の頬と額に口付けを落としたけど我慢だ。心臓が止まりそうだし、顔が熱くて溶けそうだけど…我慢だ。
はうっ、なんて声が響き、倒れる音があたりから響く。陛下の言動が女性の心をノックアウトしたらしい。なんて威力だろうか、この人の色気は…。まったく、恐ろしい。
当事者の私が倒れるのを我慢してるんだぞ、がんばれよ…。
そんなことを思いつつ、恥ずかしそうに俯く演技を忘れない。
「あ、アル様ったら…お戯れが過ぎますわ」
そう言ってそっぽを向きつつ陛下から離れる。我ながら完璧な演技だ。
「ふっ…すまない」
陛下はそう言って私の手を取る。
「行くぞ、準備は良いか?」
今までの演技がまるで嘘のように。
陛下はしっかりと姿勢を正し、私を見つめる。これはミレイではなく“私”に対する質問だろう。
私は静かに頷く。ここに入ればしばらくはミレイとして笑っていないといけない。そして自分の居場所がここであるという顔をしていないといけない。
「大丈夫です」
陛下の目をしっかり見て言う。陛下は満足そうに頷くと、なんとか陛下の色気に倒れなかった女官の皆さんを視線だけで促した。
皆さんはすぐに全てを理解し、静かに夜会が行われる大広間の扉を開ける。
陛下は颯爽とその扉を潜り抜けた。もちろん陛下の手を握る私も一緒に潜り抜ける。
陛下とそのお妃を見るために集まった紳士淑女の皆さんの視線を一身に浴び、私は少しだけ口元に笑みを浮かべて定位置へと向かった。