身代わり王妃の恋愛録
「…別にどうかしようと思ってるわけじゃない。返事は…そのうちで良い」
エルはそう言って部屋から出て行った。呆然と立ち尽くす私を取り残して。
ふざけているわけじゃないのはわかった。本気で気持ちを伝えようっていうのはすごく伝わってきた。だから私もちゃんと返事をしないといけない。けれどー。
本当に、私はエルと結婚して女王になるの…?
エルに聞かされた女王の企みを思い出し、ゾッと震えた。
昔から己の私腹を肥やすことだけしか能の無い貴族達や、自分が1番と信じて疑わない王家の人間が嫌いだった。
私の存在に勘付けば命を奪うべく刺客を送ってきたり、私を駒としてしか見ておらず無理強いをしてきたりと、ろくでもない連中ばかりだ。そういう人間絡みで、私はろくな目に遭ってない。
まあ、そのおかげで陛下に会えたんだけれど。
それでも。自分があの女王の地位を受け継ぐと思うと吐き気すら覚える。
エルのことは嫌いじゃない。散々罵り合ってはいるけどなんだかんだお互いに認めてる、と思う。けれど結婚となると何かが違う。エルの告白に頷けるかといえば答えはノーだ。
「…どうしたら良いの」
いきなり谷に突き落とされたようなとんでもない衝撃。そして重たい現実が私に重くのしかかる。
ーこのままじゃいけない。下を向いていてはダメだ。このままでは思い出したくないことまで思い出してしまう。そうだ、風に当たろう。気分転換しなきゃ。
ふらつく足に必死に力を込め、私はバルコニーへと出る。そこで手すりに体重をかけ、ゆっくりと中庭を見下ろした。
整理された美しい中庭が見える。そしてどうしてだか中庭には陛下の姿もあって。今は見たくないエルの姿もあって。
私はギュッと目を閉じた。
今まで隠されて生きてきた。女王の監視下の人間の視線やら気配を感じる毎日。
1人でいれば刺客やら監視やらが私を襲った。
強くなければ生きていくのが難しかった。
けれど貴族も女王も、表には一切そんな様子を見せない。
嘘と世辞の蔓延る貴族社会において人を信用することが怖くなった。
そんな日々の中で私は、私やミレイを知らない人達との交流が1番気楽で楽しいと気づいた。
そして、居場所を探さんと言わんばかりに必死に交流を広めてきた。
けれども。
結局居場所を見つけることは叶わなかった。
こんなとき相談できる友人もいなければ、愚痴を言える相手もいない。涙を見せられる相手もそういない。
「…どう、したら」
どこにもない自分の居場所、女王にしようというあの女の企み、エルとの結婚…。いろんな現実と、自分の不甲斐なさやら力不足やらから来る途轍もない自己嫌悪に、足から力が抜けた。傾く自らの身体を支えることができず、私はその場に倒れる。倒れながら、消えゆく意識の中で、私は自分の頰に温かいものが流れるのを感じた。