おいしい時間 しあわせのカタチ

 それから小一時間ほどしてコーチが立ち上がった。

 食事のあと、湯飲みを片手に長いことスマホをいじっていたが、区切りがついたみたいだ。


「ちょうどいただきました。ありがとうございました」

「ごちそうさまでした。――あのハンカチ、社長さんってひとのだったんですね」


 喧騒の中、かろうじて聞き取れるだけの声を拾って、佐希子は、ええ、と半信半疑に頷く。


「でもどうしておわかりになりました?」

「あれ」


 とコーチが指差した先には社長の椅子からはみ出たお尻。そのポケットから例の愛らしいハンカチが覗いている。

 あらあら。


「落ちそうになってるから」

「わざわざすみません。落ちてたら後で忘れず言っておきます。この前も、ないないーって、ひとりでさんざん大騒ぎしてたんですよ」

「大事なものなんですね」

「にしては酔っ払うと途端にあの調子ですけどね」


 コーチはまた口の端だけで笑うと、ジャケットの裾をひるがえして帰っていった。

 それから間もなく、常連仲間と話が弾むうち、ついに振動で落ちてしまったハンカチを椅子の背もたれにかかったジャケットにそっと忍ばせる。

 その際、佐希子は、おじさんには不釣合いのそのハンカチに触れながら、どういうわけか男やもめを貫く社長の心の内を思った。

 
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