ひとみ
ボクは、入浴剤をたんまり入れた湯船に浸かった。
冷えた体が徐々に温まっていく。
思わずため息が漏れる。
足の指先がじんじんと痺れる感覚に襲われた。
血の巡りを自分で認識できる不思議な感覚だ。
冷えた体は血の巡りで体温を取り戻していく。
失恋の痛手も、同じようにいつかは消えていくのか?
ふと、そんなバカらしいことを考えていた。
初めて味わった経験に、少し感傷的になっているのかもしれない。
ボクはうじうじ考えるのは止めて、頭からシャワーのお湯を浴びた。
少しだけ、気分がサッパリとしたした。
風呂からでて台所に向かった。
冷蔵庫を開けてみる。
中にはズラリと缶ビールが並んでいる。
それを見て、思わず苦笑いしてしまった。
春先には缶ビールなんて1本も入ってなかったのに。
変われば変わるものだ、人間て。
それこそ、ボクとひとみさんの人生の交差の跡が、この缶ビールたちだ。
昼もまだ2時過ぎだが、ボクは缶ビールを1本取り出した。
居間に戻り、プルタブを開ける。
プシュッっと軽く炭酸が噴き出す。
ボクはとりあえず、ひと口だけ口に含んだ。
そして溜飲する。
喉から胃の辺りにかけて、ビールの苦みと冷たさがしみわたる。
なんか、すっかり飲めるようになったよなぁ、お酒。
改めてそう思う。
その時、テーブルの上に転がっている物に気付いた。
ひとみさんが忘れていったのだろう、彼女がいつも吸っているメンソールタバコが1箱あった。
ボクは何気なしに、1本口にくわえ火を点けた。
そのまま、思いっきり息を吸ってみる。
そして、思いっきりむせかえった。
咳とともに、涙が止まらなくなった。
むせたから涙が出たのか、それとも別の理由で出た涙なのか。
まぁ、そんなことはどうでもいいよ。
とにかくタバコはボクにはむいてないようだ。
そのまま手近にあった灰皿でタバコの火をもみ消した。
周囲に漂う煙の臭いに、ふと、彼女のことを思い出してしまった。