ひとみ
父がボクに代わって、玄関にひとみさんを出迎えに行った。
なにか床にゴトリと物が落ちる音が聞こえた。
きっと、彼女が買い物袋を落としたのだろう。
玄関の方で、父とひとみさんの声が微かに聞こえる。
何を話しているのか、聞こえなかったし、聞きたくもなかった。
その晩ボクは父、そして、ひとみさんと鍋を囲んでいた。
正直、味なんかまったくわからなかった。
明るく楽しそうに喋る父の言葉に、虚ろに頷くのが精一杯である。
ひとみさんも、なんとなく落ち着きがなく、ソワソワしている。
彼女は父の言葉を受け入れたのだろうか?
ボクにはなにも言ってくれない。
やはり、父の言ったことが、正しかったのだろうか?
結局、別れるつもりもないままケンカして、飛び出して、その恋人を追っかけて謝ってって、陳腐な恋愛ごっこを、いい大人がやってただけかよ。
それに振り回されたボクって、ただのピエロだよなぁ。
なんだか、バカらしくなってきた。
ひとみさんのこと、好きになったのに、そんなボクの気持ちなんて、父とひとみさんにとっては、ちょっとしたスパイス程度のものだったのか。
スパイスによって、料理の素材が引き立つように、ボクの気持ちが、ふたりの関係を引き立たせるだけの存在に過ぎないのか。
「ごちそうさま」
そう言って、ボクは味気ない夕食を切り上げて部屋に戻った。