夢が醒めなくて
たまらない。
仕方ない、とあきらめてたはずの想いが俺の心を席巻している。
……幸せそうな小門が、羨ましすぎる。

あれは、俺がどんなに望んでも手に入らなかった幸せの形。
夏子さん、桜子……俺は……何もしてやれない。


やりきれない想いを抱えて帰宅した。
かすかな香りに気づいて、庭を覗いた。
遅咲きの黒っぽい梅の木の下で読書している希和が、俺の気配に気づいて顔を上げた。

「おかえりなさい。」
その言葉に、胸が疼いた。
家族ごっこでしかないのかもしれない。
でも、俺はハッキリと、幸せを感じたことを自覚した。

「ただいま。……似合ってるわ、それ。」
希和は、小さな瑠璃を繋げたネックレスと、金のチェーンを星のように絡ませて重ね付けしていた。

「……ありがとう。うれしくて、書斎にあったSF小説を読み始めました。惑星間抗争の歴史本みたいなの。」 
おやおや。
服に合わせてネックレスを選ぶんじゃなくて、ネックレスに合わせた本を読んでるのか。
さすが、希和。

「それ、長編やけど、話がしっかりしてるし、作者の筆力も高いし、あっという間に読めるわ。」
俺がまだ小学生の頃に流行った小説だ。

希和は、残念そうに言った。
「うん。すごくおもしろいのに、ページが進みすぎて。淋しいから、意識してゆっくり読んでます。」

……抱きしめたい。
不意にわき上がる衝動を理性で抑えて言った。

「同じ作者の本、全部揃ってるわ。どれもめちゃおもしろいから、安心して、希和のペースで読んだらいいで。」
そう教えると、希和は目を輝かせた。
よっぽど気に入ったらしい。

「……あの……由未お姉さんの本も、ある?それとも、東京に持って行ってはりますか?」
希和の質問に苦笑した。

わざわざ本を引越の荷物に入れるほど、由未は本に興味があるとは思えない。
親友のセルジュの家に住んでた頃、図書館によく行ってたらしいけど、由未は実用書ばかり借りるとセルジュが嘆いてたっけ。

「由未はお父さんに似て文学にあまり興味ないんちゃうかな。お母さんの書架も見せてもろたらええわ。文学作品もやけど、少女小説も揃ってるし。」
そう勧めると、希和は興味がわいたらしく、かわいくうなずいた。

その肩にはらりと赤黒い梅の花の残骸がこぼれ落ちた。
「虫みたいやな。」
そう言って、縮んだような梅の花を摘まみ上げた。

「……もう、梅の季節も終わりですね。」

名残惜しそうに希和がつぶやいた。
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