夢が醒めなくて
「何や、それ。お兄さん……何でもできる人やと思とった。」
「まさか。俺、あおいちゃんと違って天才じゃないし。努力の人やで。」
そう言ったら、何か笑えてきた。

もちろん自分は出来る人間だと思って育ってきた。
でも、大学に入ってみりゃ、比べるのもおこがましい、俺なんか足元にも及ばない卓越した頭脳の持ち主が大勢いた。
あおいちゃんもだし、あの、法学部の堀正美嬢もそうだろう。

「お兄さんのこと、誤解しとったかも。いけすかない傲慢な独裁者かと思ってた。」
いけしゃあしゃあとあおいちゃんがそう言った。

「あー。俺も自分の父親のことをずっとそう思ってた。」
苦笑してそうかわすと、あおいちゃんはちょっと笑った。

「よかった。由未ちゃんも頼之さんもお兄さんに好意的で疎外感あったのに、光までお兄さんに懐いとーし。やっとちょっと理解した。……や~、初対面の印象が悪かったかな。」
「初対面って。ああ、文化祭。ごめん、あの直前に色々あって俺、不機嫌だったかも。」

忘れもしない。
由未が神戸の高校に入ったその年の秋の文化祭だった。
あの日、セルジュに連れられた歴史のある喫茶店で桜子の存在を知り、夏子さんに遭ってしまったんだ。
自分の無力さを思い知らされた日だった。

……やさぐれた気持ちのまま文化祭に行き、由未の初恋男子が明らかにあおいちゃんに惚れてるのを見て、複雑な気分になった。
なのにあおいちゃんが、2人の仲を取り持とうとしてかるから、俺は牽制のつもりで邪魔したんだよな。
大事な妹を、猿から守りたくて。
確かにあの日の俺は、さぞかし嫌な奴だったことだろう。

でもあおいちゃんは申し訳なさそうに言った。
「ううん。それ、2度め。その1年前に頼之さんのインターハイの応援に来とったでしょ?由未ちゃんと。あの時、私、つわりでしんどくて、お兄さんの扇いでた扇子の白檀の香りで吐きそうになっとってん。じゃらじゃらした京都弁も相乗効果で嫌いになって。それで印象最悪。」

「へ?……そうやったんや。」
あおいちゃんもいたのか。
「うん。せやし、お兄さんが悪いんじゃなくて、そういう巡り合わせやったんやわ。」

なるほど。
それは、俺の落ち度じゃないかもしれない。
あの暑い夏のスタンドを思い出す。
つわりじゃあ、そりゃ、しんどさも倍増だったんだろうな。
じゃあ、あの日お腹に光くんがいたのか。

「そっか。そしたら今度、光くんが白檀を嫌がるか試してみようか。もしかしたら、お腹の中から光くんがあおいちゃんに、俺に近づくなーって、警告出してたんちゃうか。」

何気にそう言ったら、あおいちゃんは屈託なく笑った。

初めて見る、明るい魅力的な笑顔だった。
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