夢が醒めなくて
でも昼休みに電子辞書片手に『非国民』を読んでると、いつのまにか朝秀くんが一緒に読んでいた。
「非国民て戦争関係かと思ってた。」
読後、何とも言えない表情で朝秀くんがそう言ってため息をついた。

「あほな。明治の小説や。春秋(はるあき)の言う非国民は第二次世界大戦前後からの意味合いや。」
いつの間にか、坂巻くんも読んでたらしい。

「な。救いがないやろ。」
坂巻くんは私にそう言った。
さっきと声のトーンも表情も違う気がした。

「うん。容赦ないね。文章が美しくて淡々としてるから押し付けがましい悲壮感はないけど、余韻がすごい。」

現に私は圧倒されていた。
あっという間に読み切れる短編なのに。
やっぱりすごい作家やわ。
もっと読みたい。


その日は囲碁部の活動日だった。
放課後、朝秀くんに見送られて部室に行くと、いつもより部員の数が多い気がした。
聞けば、足を骨折されてずっとお休みされていた囲碁の先生が復帰されるらしい。

ほどなく現れたのは、いかにもインテリで優しそうなおじいさんだった。
一昨年まで大阪の私大の学長を勤めてらして、退職後は趣味の囲碁三昧なのだそうだ。
先生はこの学園出身だったらしく、碁会で顧問と意気投合して、去年から囲碁部の指導をしてくださっていたんだとか。

先輩がたがうれしそうに対局をジャンケンで取り合ってらっしゃるところを見ると、イイ先生なんだろうなと想像できた。
その日は、私は先生と関わることも、言葉を交わすこともなかった。


事件が起こったのは、その2日後。
囲碁部に向かう途中で、ばったりと先生と出くわした。

「こんにちは。」
とお辞儀をして顔を上げると、先生の目が……ちよっとやな感じ。

その時は気のせいかと思って、やり過ごした。
でも部室に行ってから、やっぱり先生がちょっと変なことが、私だけでなく先輩がたにも伝わった。

先生は、対局したがる先輩がたを無視して、私の碁盤の前に座ろうとした……既に別の対戦相手がそこにいたのに。
「え!?先生?竹原さんと打たはるんですか?」

なぜ?
私も含めてみんなが不思議がって見守ってるなか、対局した。

あっさりではないけど、結局負けた。
いつも通り、解説を求めてみんなが待ってるのに、先生はさっさと碁石を片付けて、すぐにまた対戦しようとした。

「あ。じゃ、先輩。どうぞ。」
私は慌てて立ち上がり、すぐそばにいらした先輩に席を譲った。

……すると先生は、じとーっと私を見た。
気づかない振りのしようもないほどあからさまな視線に、私もだけど、先輩がたも言葉を失ってらした。

こんなことは初めてらしい。

てか、先生は先輩と対戦してる間も私をニコニコ見ていた。

さすがに、怖くなってきた。
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