夢が醒めなくて
まるで四つ脚の動物のように、両手を地につけて、ガクガクの足と腰を奮い立たせてその場から少しでも逃れようとした。

見ると、そこには背中をまるめてうずくまっている白髪の男のひと……たぶん囲碁の先生と、息を荒げて大きく曲がった傘を持って仁王立ちしてるサッカー部のジャージを着た坂巻くんがいた。

「大丈夫か!?」

坂巻くんの小さな身体から青白い炎が見えるような気がした。
気迫に息を飲むと同時に、きれいだと思った。

「う……」
囲碁の先生がうめき声を上げて少し動いた。

私の身体が勝手にガタガタと震え出した。
「や!……いや……」

囲碁の先生が起き上がって、私を見てニタリと笑った。
私はこみ上げる吐き気に胸を押さえた。

坂巻くんは再び囲碁の先生の背中を傘で叩いてから、先生の背中をまたぎ、両手を肩甲骨に沿うように置いて勢いよく押した。

「ふっ!」
と先生の口から息が漏れ、そのまま先生は動かなくなった。

「大丈夫か?……このじーさん、知り合い?」
私は返事したいんだけど、声が出せなくて、ただ震えて坂巻くんを見ていた。
「……大丈夫ちゃうな。落ち着いて。深呼吸してみ。呼吸介助しようか?」

呼吸介助って、何?
びっくりして、私は金魚のようにパクパクと開き、空気を取り入れようとした。

「ゆっくり。吸って……吐いて……大丈夫、吸って……吐いて……」
坂巻くんの声はまだ声変わりの途中なんだろうけど、朗々として綺麗だった。
毎日読経してはるのかな。

「死なはった?」
やっと出た声でそう聞いた。

「いや。俺、僧侶やで。殺人はせんわ。気絶してもろてるだけ。ほんとは気絶してる人を起こす方法やけねんけど、普通の状態の時にしたら気絶させることもできるん。……まあ、危ないから初めてしたけど。このじーさん、痴漢?」
私が震えて怯えてるからか、今までとは別人のように坂巻くんは優しくて饒舌だった。

「囲碁部の先生。急に……色惚けしはったんかな……わけわからへん……」
それだけやっと言うと、私は震えの止まらない身体を自分の両腕でぎゅっと抱える。

怖かった!
意味わからんわ。
何で、こんなことに…….

「認知症のストーカーか。そりゃ災難やったな。どうする?警察、突き出す?教師、呼んでくる?」
サクッとそう言った坂巻くんに驚いた。
……妙に落ち着いてるというか……

「兄が近くに来てるから、呼んで相談する。」

「あー。」
坂巻くんはうなずいてから、折れてしまった傘を元に戻そうと奮闘していた。

……そこらにあった傘を掴んだらしく、見知らぬ人のモノを壊してしまったようだ。
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