夢が醒めなくて
帰宅してから、義人氏は和綴本の『残菊』をじっくり見た。
「確かにおもしろそうやけど、けっこうきついな。後味悪そうやけど大丈夫か?……あ。蔵書印。たかいこ?」

義人氏にそう問われて、私も横から覗き込んだ。
ホントだ。

奥付に正方形に漢字四文字の白文方印と、縦長の長方形にひらがな4文字を縦一列に草書で刻んだ朱文印。
これ、所有者の蔵書印なんだ。

長方形のほうは、「たかいこ」と読めた。
そして正方形のほうは、「積善藤家」?

「たかいこって何やろ?てか、普通にお寺の印鑑か、『坂巻蔵書』でいいやろうにぃ。」
私がぷーぷーそう言ってる間に、義人氏は検索した。

「わかった。『積善藤家』は、光明皇后の印で、藤原家のことや。で、『たかいこ』は、高子をたかいこと呼ばせてるんやな。つまり、藤原氏の高子(たかいこ)姫の本なんちゃうか?」

「藤原氏って……該当者いるの?」
「いるで。あの寺に明治にお輿入れしたお公家さん。清華家。天花寺も昭和になってから姻戚関係になってるし。」

はあ~~~。

「これ、じゃあ、お公家さんのお姫(ひい)さんの本なんや。借りちゃっていいのかな。」
私がそう言うと、義人氏は変な顔をした。

「なに?……あ、卑屈に聞こえた?」
そんなんじゃないから、と慌てて付け加えた。

義人氏はおもむろに言った。
「いや。たぶんあの家にとって、近代の本とか文書なんか何の値打ちもないやろ。どうせ倉庫にでも放置されてたと思うし。いいんちゃうか?」

……そういえば、倉庫って言ってた。
「近代って言っても100年以上たってるのに。でもまあ、だからこんなに綺麗なんやね。」
そう言って、私はゆっくりページをめくった。


「希和~?てか、それ、ネットで読めるで?」
数ページ進んだところで、義人氏がそう声をかけた。
「え!だって検索したけど出て来いひんかったよ!?」
すると義人氏は携帯をチョイチョイといじって、見せてくれた。
「ほら。国文学研究資料館の電子資料館。」

ほんとだ!

『さ舞菊』と書かれた表紙は、坂巻くんに借りたこの本と同じだった。

「……どうしよう。坂巻くん、倉庫を探してくれたのに、無駄骨折らせてた。」
倉庫ってひとことで言っても、一冊の本を探すのは大変だったんじゃないだろうか。

「まあ、いいんちゃう?希和が頼んだんじゃなくて、坂巻くんが勝手に探してくれてんろ。希和を元気づけたかったんやろーよ。」

義人氏はほぼ無表情でそう言った。
< 188 / 343 >

この作品をシェア

pagetop