夢が醒めなくて
梅の香りって、やっぱり素敵。
お手洗いに立った帰りに、渡り廊下から梅の古木に見とれてると、猊下(げいか)と呼ばれる孝義(たかよし)くんのお父さまに声をかけられた。

「……希和子ちゃん。」
「こんにちは。お邪魔しています。」
頭を下げてご挨拶してから顔を上げると、猊下が優しい目で見てらした。

「梅が、好きなんか?」
そう聞かれて私はうなずいた。

「はい。姿も美しいけど、薫りが好きです。ここは、いいですね。お部屋の中にいても、障子越しに梅の薫りが楽しめて。」

ガラスでは香りは届かない。
調子に乗って庭で梅を見ていて風邪をひいてしまって以来、この時期はお母さんにも義人氏にも心配されてしまう。

「すきま風が寒いゆーて、うちのもんには不評やけど、そんな風に言うてもらうとうれしいわ。またいつでもおいない。」
猊下は笑顔でそう言い置いて行かれた。

「あー、やっぱり!外にいてたら風邪ひくってば。」
春秋(はるあき)くんがわざわざコートを持って来てくれた。

こーゆーとこ、ほんっとに似てると思うわ……義人氏に。

「ありがと。でも大丈夫。」
「大丈夫ちゃうわ。三学期は中間テストがないから、休んだら挽回できひんで。」

孝義くんは、そう言いながら小さなお盆に湯呑みを3つ持ってきてくれた。
「なに?」

「あんまり甘くない甘酒に生姜たっぷり入ったん。」
お寺の職員のおばあちゃんの手作りだというその甘酒は、ほのかに甘くて、麹の優しい香りがした。

「滋味、って感じ。あったまるわ。」
美味しいとは言わない春秋くん。

「私、これ、好きやわ。落ち着く。初めて飲むのに懐かしい気がする。」
やっぱり工場で大量に作る市販品より、手作りが好き。

「俺はどぶろくのほうがいいわ。飲むけ?」
孝義くんはあっけらかんとそう言ったけど、

「どぶろくも手作りなの?てか、お酒?あかんて!」
と、慌てて止めた。


暗くなる頃、携帯が何度も震えた。
無視してたら、春秋くんと孝義くんの携帯も連動してメールを着信した。
「お迎えやな。」
孝義くんが教科書を閉じた。

「ほな、これで、勉強終了。2人とも、ありがとうな。」
春秋くんは嬉々としてノートや筆記用具を片づけて、電話に出た。

「はーい。今、片づけてます。すぐ出まーす。」

聞くまでもなく、義人氏だろう。

私も渋々片づけた。
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