夢が醒めなくて
「桜子ちゃんって、先生の娘さんですか?かわいい名前ですね。」
車の中でそう話しかけると、大瀬戸先生はふわりと微笑んだ。

「ありがとう。……ところでさっきの彼氏?カッコイイし優しいのね。口は悪いけど。」
まあ、今は彼氏ではないんだけど……と、私は苦笑してうなずいた。
「友達です。かけがえのない。」

そう答えたら、心の奥がぽかぽかと温かくなった気がした。

病院で問診票に記入してる間に、大瀬戸先生は電話をかけた。
「もしもし、夏子です。負傷した生徒と病院に来てますので、カナトさん、桜子を見ててもらえますか?よろしくお願いします。」

……留守電に入れたのかしら。
夏子さん。
大瀬戸夏子さん、ね。

診察室に入ってすぐ……レントゲンを撮る前に「骨折」と診断された。
「当分不便ね。でも利き手じゃなくてよかった。……左手の薬指か~。ギプスがとれるまで、婚約指輪は無理ね。」

たぶん大瀬戸先生は冗談のつもりでそんなこと言ったんだろうけど……今の状況の象徴のようで、全く笑えなかった。



診察室を出ると薬剤師の先生が書類の記入をしながら待っててくれた。
「姫、下の名前、何だっけ。竹原……あ!」
薬剤師の和田先生は何か思いついたのか、小さく声をあげて、私と大瀬戸夏子先生を見た。

「もう。姫って呼ばないでください。希和子です。希望の希と平和の和と子どもの子。」
昔は、希釈の希と言っていた。
でも義人氏が、私に自分の名前を好きにならせてくれた。

「竹原、希和子さん?綺麗な名前ね。」
大瀬戸夏子先生が目を細めてそうおっしゃった。

さっき桜子ちゃんのお名前を誉めたお返しかしら。
気恥ずかしかったけど小声でお礼を言った。

「お父さん、本部席で心配してらっしゃるんじゃない?電話したげたら?」
和田先生にそう促され、私は会釈して立ち上がった。

病院の玄関のほうへ向かいながらお父さんの番号を選択してると、角から走ってきた女の子と軽くぶつかった。

「わ!ごめんね!……わ!かわいいっ!」
ぶつかった驚きより、彼女のかわいさに驚いた。
お人形みたいな美少女って、こーゆー子のことを言うんだわ。
さらさらの長い黒髪に、ぱっちりとつぶらな瞳。
赤い形のいいくちびるから歯を控えめにのぞかせた上品な笑顔は、ちょっと義人氏を思い出させた。

「ごめんなさい!」
女の子は笑顔でそう謝って、パタパタとまた走り出した。

「桜子、走っちゃいけないよ。」
角から、たぶん女の子を窘める声が聞こえてきた。

え?
でも、この声……

「お父さん?」
< 292 / 343 >

この作品をシェア

pagetop