夢が醒めなくて
春休みが終わる前に、お母さんと私は帰宅した。
けど、あくまで私を神戸に行かせるための帰宅らしく、お母さんは義人氏ともお父さんとも口を聞かなかった。
まあ秘書の原さんとは普通に会話してたので、それで2人とも事務連絡は取れてるのかもしれない。

「俺、原さんってお母さんのこと好きかもって、たまに思う。」
約10日分の想いを込めて義人氏は私を貪り倒した……硫黄臭いと、文句を言いながら。

「そんなわけないよ。もしお母さんを好きならお父さんが浮気してた時、お母さんをほっとかないでしょ?」
「原さん、お父さんに忠誠を誓ってるから。でも結婚もしてへんのはお母さんに惚れてるからな気がする。」

義人氏はそう言って、もふっと私の髪を掴んでパタパタして
「あ~、硫黄臭い。」
を、繰り返していた。

ほってかれた復讐らしいけど、
「高濃度の硫黄温泉やもん。お土産は硫黄。当分うちのお風呂、硫黄風呂やって。」
と、全然気にしてない振りをした。

以前の私なら泣くか、慌ててシャワーを浴びたかもしれない。
未だに私は義人氏の前で、笑うことも泣くこともできないままだった。
……確かにこのままじゃあかんわ!


というわけで、始業式の前日に神戸に行ってみた。
「ここぉ?えらいゴチャゴチャした駅前の商店街やなあ。」
「神戸の珈琲専門店って、もっと洒落た山手か旧居留地にあるんかと思った。」
ナイトの2人の言うとおり、お母さんに教えてもらった純喫茶マチネは阪神電鉄の駅前の商店街の中にあった。
……あんまり柄が良いとは言えない雰囲気かも。

「大瀬戸夏子さんは旧姓で、今は古城(こじょう)さんゆーたよな?ほら。あれ。あれも。」
孝義くんがそう言いながらあちこちのビルやマンションを指さした。
なるほど、古城と名のつく建物がいっぱい。

「夏子さんの再婚相手は昔からの地主っぽいね。字名(あざめい)にもなってるみたいや。」
目ざとく春秋くんが民家の表札を見て指摘した。

「あれか。」
味のある歪んだ硝子の入った堅牢な石造りの建物の古い喫茶店。
「行くで。」
ドアを開けると、そこはまるで昭和初期のサロン。

何とも言えないデカダンな空気がゆったりと漂う素敵なお店だった。
テーブルも椅子も古いアンティークだけど、ピカピカに磨き上げられて光ってる。
「いらっしゃいませ。空いてるお席、どこでもどうぞ。」
夏子さんの再婚相手と思(おぼ)しきマスターは……ダンディ!
かっこいいオトナの男性!

素敵ーーー!

とりあえず、夏子さんが面食いなのは間違いないわね。
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