夢が醒めなくて
マスターの笑顔が固まった。
「……君たちは?要人さんの?」

「希和子。」
孝義くんは、私を手招きした。

恐る恐る立ち上がって、ぺこりとお辞儀した。
「娘です。養女ですが。養父(ちち)がお世話になってます。あの、ご迷惑でなければ、奥さまにもご挨拶させていただけますか?昨年、指を骨折した時に、病院へ連れて下さった竹原希和子と言えば、たぶん覚えてらっしゃると思います。」

マスターは、ひたいに手を当てて
「マジか……」
と、つぶやいた。


数分後、夏子さんが息を弾ませて店に入ってきた。
「ほんまや。美人!」
感嘆した春秋くんに肘鉄を食らわせてから、孝義くんはコーヒーカップを持ってカウンター席に移動しながら夏子さんに会釈した。

「春秋も。こっち来ぃ。希和子は、そこ。」
「……え……ここで話すの?」
夏子さんがマスター、つまり旦那さんの顔をチラッと見た。

マスターは肩をすくめて、ドアを開けるとopenの小さなプレートをclosedにひっくり返した。
常連さんは、ものすごーく後ろ髪を引かれてらしたけど、孝義くんの眼力に負けて渋々帰って行った。

「君、かなり強引だねぇ。なっちゃん、俺、いないほうがいい?」
マスターにそう聞かれて、夏子さんはため息をついた。
「いてください。」
了解、とマスターはつぶやいて、コーヒーを入れ始めた。

「あの、お呼び立てして、すみません。昨年の体育祭の時には、」
「指……変形しちゃったのね。」
挨拶しようとしたら、夏子さんは私の左手の薬指を見てそう言った。

「はい。指輪が似合わない指になってしまいました。」
自虐的にそう言ったら、カウンター席で春秋くんがぶるぶると首を横に振って否定してくれた。
何となく心に余裕が生まれた。

「旦那さんの前でこんなことお窺いするの、失礼かと存じますが、どうして義人氏に黙って出産されたんですか?」

「いや、希和子。それ、唐突過ぎ。」
孝義くんがカウンター席で突っ込んだ。

夏子さんは私をじっと見た。
「答える前に、先に聞かせて。週刊誌では義人くん、十文字さやかさんってヒトの婚約者って書かれてたけど、違うんでしょ?本当のお相手は……あなた?」

……さすがに返事しづらい。
春秋くんも、孝義くんも、拳を握ってファイティングポーズで応援してくれてるけど、これは代わりに返事してくれないよね。

私はお水をグイッと飲んでから、一気に言った。
「さやかさんとはビジネスだそうです。そっちが片付いたら義人氏の気持ちに応えたいと思っています。でも桜子ちゃんのことを聞いて、困惑してます。それで図々しく押し掛けてしまいました。すみません。」

そう言って頭を下げた。
ら、夏子さんは、椅子から滑り落ちるようにペタリと床に座り込み、両手をついて頭を下げた。

「ごめんなさい。」

……土下座されちゃった。
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