夢が醒めなくて
適当にあいている椅子に座って、丹念に文字を目で追った。
もちろん既に読んだ本だけど、仮名遣いや漢字が違うだけで、味わいが違う。
本来はこういう文字が原稿に並んでいたと思うだけで感慨深い。

印刷も今と違う。
写植って言うのかな?
活版印刷はインクの香りが残ってそうな、そんなイメージ。

「希和子ちゃん。デスクあいたわ。おいで。」
しばらくして、義人氏がそう声をかけてくれた。

確かに古い本なので、できたら机に向かって読みたい。
義人氏に案内されて、窓際のデスクに座らせてもらった。
地階にいるのに、大きな天井までの窓から燦々と陽光が降り注いでいた。
気持ちいいな。

「ありがとう。」
小声で義人氏にお礼を言った。

すると、あり得ないほどうれしそうに義人氏はほほえんだ。
心からの笑顔だった。

少し離れた椅子に座った義人氏は、何冊かの本を積み上げていた。
何かしら、あれ。

基本的に私はあまり他人の動向に興味を抱かないのだが、義人氏はよくわからないヒトすぎて、気になった。
じっと見てると、義人氏が気づいた。
「何、読んではるのかな、って。」
小声だけど、静かな室内ではよく通った。

義人氏は立ち上がってそばに来てくれた。
「これ?相撲頭取、ってわかる?江戸時代、相撲興行で儲けてたヒト。今で言うと、芸能プロダクションの社長?」

「すもうとうどり?聞いたことないです。お相撲が、好きなんですか?」

「好きではないけど、ちゃんと知っておきたくて。京都で有名な相撲頭取は、会津藩に取り立てられて、武士のように名字と帯刀を許されて、幕末には新撰組みたいに志士と戦っててんて。鳥羽伏見の戦いで死んだ幕府方の遺体を、新政府に逆らっても回収して埋葬したり、侠気(おとこぎ)があって。俺の父親の子供の頃は、まだそういう古き良き極道が、近所の顔役みたいに世話焼いて助けてくれたらしいんやけど。会津小鉄三代目の図越さんとか。」

義人氏の話は、私が見たことも聞いたこともない世界へと広がった。
 
極道?やくざ!?
何で、そんな恐ろしい話をしてるの?
義人氏って、いったい……どういうヒト?

何となく、最初から、他のボランティアのお兄ちゃんやお姉ちゃんとは違うと思ってた。
誰よりもオトナで、誰よりも周囲にアンテナを張り巡らせて目を配っていて、誰よりも優秀なのに、誰よりも優しい。

そして、たぶん、誰よりも裕福で恵まれたヒト。
私達に服や下着や旅行バッグを寄付してくださったお母さまも教養がありそうに感じた。

とてもやくざと関係してるとは思えないんだけど……
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