奪うなら心を全部受け止めて


「この部屋には…その…翌日に来るようになった。…乱れた様子だった事は一度もなかった…。いつも綺麗で…片付いていて、そして、…入った時は、いつも微かに珈琲の香りがしていた。
きっと一人で…、朝…珈琲を飲まれてから帰っている。…そう思いました」

…佳織ちゃん。切ないな。…切ないよ。

「ベッドを見てもシーツにシワひとつないくらい綺麗に整えられています。いつもです。
一度だってグシャグシャだった事はなかった。
…逆なんです、違ったんです。…もっと生々しく、…シワくちゃで、お布団もグチャグチャになったままで部屋を後にしている、そう思っていた。そうだったらいいのにと思ってしまった。
…何だか、綺麗にしている、その心の余裕が…腹立たしいんです。
……頬を緩めて…優朔さんに思いを馳せながら整えているんだろうって…。
物が壊れた形跡もない…。…揉めた事もないんだ。それは我が儘を言って投げつけたり、声を荒げる事もしないんだって。
…ここは愛のある場所なんだって…。…どんなに限られた時間でも、…愛されて、…満たされているんだって…。
…誰からも愛されていない女の嫉妬です。
相手が誰だからという事は重要ではない。…愛されている人に私は嫉妬している。
見苦しい、みっともないのは解っています。
…お義父様に、…会長に報告してくださって結構よ。勿論、優朔さんにも。私は、してはいけない事をして、優朔さんの大事な人……脅かしているのだから」

…。

「確かに私は秘書です。報告する義務はあります。ですが、今は一人の男、松下能として話をさせて頂きます。
まず、ここには…、私の部屋には、もう二度と来ないでください。入らないでください。
…奥様の為です。…もう、充分、気は済んでいらっしゃると思います。
それから、形や思いは違っても、優朔は奥様を妻として信頼しているという事をしっかり解って頂きたい。
例え政略結婚だとしても、奥様と夫婦になりました。家庭はきちんと継続して行こうとしています。それは奥様も充分お解りですよね?
そして、…優朔が…大切に思っている人は、自分の立場を重々理解しているという事です。奥様が想像したように、顔を緩めて寝具を整えるなど…そんな気持ちではしていないと思います。これは私もあくまで想像です。
愛されて優位だと、…浸って浮かれているような人ではないという事です。
愛されていると言えば、奥様からすれば…その存在は、やはり鬱陶しくて邪魔な者だと思います。
優朔が、愛していない人、身体だけの関係の人を、沢山囲っている方が、奥様にとっては、まだいいのかも知れない。割り切れるから。
でも、あの人は…決して満たされている訳ではないのですよ?
毎日、不安しかない立場だという事です。
…だから、時間を、会える時間を大切にしている。だから、…二人で会うこの部屋も、綺麗にしているのです。
優朔の事…独占してはいけない、出来ないと、きちんと理解している人だからです」
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