Mr.ハードボイルド
俺は伊豆半島の中央を沼津からまっすぐ南下した。
伊豆中央道を走りながら伊豆長岡温泉を横目に秋晴れの晴天の空の下の山道を堪能した。
まぁ、助手席に座っているのがニーナだったら楽しいドライブにでもなったんだろうがな、仕方ない、これも仕事だ。
「なぁ、菅原さん、あれかい、新婚旅行ってのはこの辺りの温泉だったのかい?」
「いや、伊豆下田温泉だったんだよ。バスに揺られて、そりゃあ大変な旅行だったよ」
菅原のバアさんは懐かしむような遠い目をして語った。
「世の中が戦後の混乱から高度経済成長期へ移り変わっていく最中だったさ。まぁ、新婚旅行って言ってもね、新婚じゃなかったけどね。戦争から復員してきた旦那と所帯をもった頃は旅行どころじゃなかったんだよ。だからね、所帯もって10年目の新婚旅行だったんだよ」
「そうか、時代が時代だったんだな。俺なんかにゃ想像もできねぇや」
「あぁ、そうだろうよ。今の時代にゃ、今日みたいに日帰りで旅行もできたりするしねぇ。便利になったもんだよ」
「でも、その旅行は楽しかったんだろ?」
俺の問いに彼女はコクリと頷いた。
「あぁ、楽しかったさ。日常の喧騒から離れてノンビリと旦那と過ごせたんだからね。おかげでその時に息子も授かることが出来たし」
「ほぅ、そりゃよかったなぁ」
「あぁ、もう何十年と経った今でもその旅行の時のことは色褪せずに覚えているよ。だからね、私はボケてその思い出を忘れたくはないんだよ。死ぬ時はポックリと逝きたいもんだよ」
「菅原さんよぅ、縁起でもねぇこと言いなさんなって」