平安異聞録-お姫様も楽じゃない-
ぐっと背筋に力を入れ、姿勢を正す。
柏手を二回。
打ったその手を口元に持って行き、息を吹き掛ける。
豪豪と吹き荒れていた風がうその様に静まり、清い音が響き渡る。
──清浄な地を汚す鬼、清浄な者を汚す鬼、清く美しい神の童を汚す鬼、我下に出でよ──
もう二度柏手を打ち五芒を描き、普段から清めている懐刀を光の線を結んだ五芒の中心へと突き立てる。
しんっ─────
総ての時が止まったかの様にに、動くものも無ければ気配も無い。
そんな中、それまで微動だにしなかった藤壺の女御が呻き声を洩らし、苦悶で身体を張らす。
「っ〜……ぁああ"あ"あ"っ」
暫く呻いた後、藤壺の女御は静かに動かなくなる。その顔は先程とは打って変わり、あどけない少女の顔に戻っていた。
そして藤壺の女御の真上、その宙空に形の無い黒い霧が漂う。
それは暫く藤壺の女御と私の周りを、様子を窺うように漂った後、細い線を作りながら出ていこうとする。
自分を作り出した主の下に戻ろうと言うのだろう。
本当ならばこれを追って行きたいところだが、先程の加持祈祷で霊力も体力もないに等しい。
上がらない腕を気力で持ち上げ、悪鬼に向け印を組む。
──滅──
肩から力を抜き、傍に横たわっている藤壺の女御の頬に触れる。
長い睫毛は涙で濡れている。
「………私たちは、どんなに理不尽な事でも受け入れなければならないわ」
まだ幼さの残る少女が背負うには少し辛かっただろう。愛した者と結ばれず、最愛の母を亡くし、政の道具にされる。