上司の笑顔を見る方法。
 

次の日。

態度には出ていなかったとは思うけど、私は完全に、藤谷さんのことを意識してしまっていた。

昨日の夜から私の頭の中をくるくると回り続けるのは、藤谷さんの唇の柔らかさと笑顔。

「仕事に集中!」と何度も言い聞かせ、勝手に高鳴ってしまう心臓をできる限り無視して、やるべき仕事を終わらせる。

そして残業時間が数時間過ぎた頃、私は藤谷さんのデスクへ向かった。

今日も同僚はすでにオフィスにはいない。

今日は日付も変わっていないからと他に私にできる仕事はないか尋ねたけど、昨日と同様、作業はもらえなかった。


「藤谷さん。では、お先に失礼します。お疲れさまでした」


挨拶をすると、藤谷さんは無言のまま、私に真っ直ぐ視線を向けてきた。

その視線に、戸惑う。

な、何でそんな風に見てくるの……?


「櫻井」

「はっ、はいっ」


私の名前を呼ぶ声がいつもと違って聞こえるのは、周りがしんとしているからだろうか。

藤谷さんの低めの声が、私の耳に甘く響いた気がした。


「昨日、“明日も頼む”って言ったの、覚えてるか?」

「え? ……あ、はい……」


昨日、“あの事故”の後に言われた言葉だ。

“何を”とは言わなかったけど、単純に仕事のことだと思っていた。

でも、目に映る藤谷さんの表情が私を魅惑していて……。

まさか、キス、のことじゃないよね……?

いや、そんな、まさか。……そんなわけ、ない。


「……じゃあ、頼むよ。櫻井」


藤谷さんの熱を含んだ視線と言葉は、“ありえない”と思っていた私の体を、まるで自然発火してしまうように熱くさせた。

そして私はまるで見えない力に引き寄せられるように、藤谷さんに触れていた。

その柔らかい唇に。

そっと離れ目を開けると、藤谷さんが何だかおかしそうに笑ったのが目に映り、一瞬前まで触れていた唇が「さ、もう少し頑張るか」と零した。

その笑顔は私が藤谷さんにキスをしたことが間違いではなかったことを示していて……。

……本当にキスのことだったの?

ふわふわとした気持ちで藤谷さんのことを見ていると、藤谷さんが綺麗な弧を描いた唇を開いた。


「気をつけて帰れよ」

「……はい」



この瞬間、私の中に欲が生まれた。

藤谷さんの笑顔をもっと見たい。

藤谷さんの唇にもっと触れたい。

それは、強い依存性をもたらす欲。


何かを約束したわけではない。

でも、私から落とすキスとその後の藤谷さんの笑顔が日常になっていったんだ。

。○





 
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