【短編】七階から、君を。
***

いつから、大学に行かなくなったのだろう。

不思議なことにその辺りの記憶がない。

単に休んでただけ?

何か嫌なこととかあったっけ?


自分のことなのに、分からない。気持ち悪い。


食器を流しに持って行き、洗い物をしようと水を出す。

「…冷たい」

意識ははっきりしてる。

なのに、どうして。

そう思ったとき、ピーンポーンと間延びした音が玄関先で聞こえた。

宅急便か何かだろうか。

判子を持って廊下を歩き、ドアを開ける。


「はーい…」

「確認もせずにドア開けるとか不用心でしょ、セイナ」

「ソーマ」

ちょっと怒った顔をしたソーマが立っていた。

「何で袋持ってるの」

「当面の食料品。…じゃなくて!分かってんの?」

「ソーマだったから良い、でしょ。次から、気をつけるから」

「あのな、俺じゃなかったらどうするの。悪い人かもしれないんだぞ?あんなことやこんなことされたらどうするの」

「その時は、」

「その時は?」


うう。返す言葉もない。

目が全く笑っていない笑顔で迫って来られると、何も言えなくなった。

「その時は、」

「ああ、その時は?」

「……ソーマが、助けてくれるでしょ?」

小さい頃にシェパードに追いかけられた時も、怖い夢を見て泣いていた時も、いつも助けてくれたのはソーマだった。
ソーマが慌てて優しくしてくれるのが嬉しくて、怖かったけど頭に浮かぶのはソーマで。


はああ、と盛大なため息と共にソーマが私の肩に手をかけて下を向く。

髪がくすぐったい。


「あのな、セイナ?」

「…うん」

「ああ助けてやるよ、もちろん喜んで助けますとも。けど俺がいなかったらどうするつもりなのセイナ!?」


あ。

「ああ…」

「ああ、じゃなくて!」

あーもう、とソーマが顔を上げる。

「これだからほっとけないんだよお前は…」


至近、距離。

頬が熱い。


「とりあえず、ソーマ。上がって」


至近距離に耐えられなくなって、そう言う。


「ほんとお前分かってる?」

「はいはい」

「お前なぁ」

そう言いながらもリビングまで来たソーマはキッチンに入り、冷蔵庫に食材を並べてくれる。

ん、食材?

「何で、食べ物ソーマが買って来てくれるの」

「え?」

一瞬ソーマの動きが固まった。

「それくらい私がするのに」

「…あ、あぁ。何だ忘れたの?セイナ、熱出しただろ。それから何回か体調崩してるから」

そう、だっけ。

「大学…」

「しばらく休学してるんだろ。お前が言ったんだよ」

「そんなに、悪いの?」

「ストレス性だって診断されてるから。…お前、絶対部屋から出るなよ」


そう、なのかな。

何か悪いことあったっけ。

思い出せない───。

あるのは、強烈な不快感と寂しさ。

思い出そうとすると押し寄せてくるその感情に、戸惑いを覚える。


ぽんと頭に手を置かれた。

「嫌なことはわざわざ思い出さなくて良い」


「そう…だね」


ソーマの言う通りのかもしれない。


頷くと、ソーマはほっとしたような顔をした。
















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