桜の木の下に【完】
優しさから出た嘘
*健冶side*
目的の山について、少しだけ立ち止まった。
ここで父さんたちは死んだ。
そんな地にこんな形で足を踏み入れるとは思っていなかった。まだお墓参りもしていない。
それを考えたときに、悠斗兄さんは何回この地を訪れたのだろうと思った。
きっと、一度や二度ではすまないだろう。
「直弥、緊張してないか」
「してねー。むしろムカムカしてきた」
「吐くなよ」
「違うっつの。武者震いだ」
直弥はぶっきらぼうにそう吐き捨てた。
だが恐らく、緊張している。
普段ならこんなに素早く反論しない。
「足元気を付けろ、滑りやすいから」
「おまえはオカンか。いちいち言わなくていいっつの」
「頭に蜘蛛の巣引っ掻けてるのにか?」
「……そこは黙って取れよ」
拗ねられてしまった。
少々からかいすぎたかもしれない。
でもこうでもしないと、俺も自分のペースが乱れそうで怖かった。
もしかしたら、地面には家族がいるかもしれないんだ。
「この奥です」
暗部の一人に声をかけられて、さっと頭を切り替えた。
ついに、正念場だ。
坂を登りきると、そこには小さな祠があった。その祠は別の空間に繋がっているらしく、見た目は古臭そうだがまだ新しい物らしい。
つまり、道真がつい最近設置した転送道具だと察することができる。
これに触れれば、ラスボスが待っているはずだ。
「二十分後、君たちには突入してもらう」
あらかじめ用意しておいた血液の小瓶を片手に、幹さんは俺たちに言った。
前回の魔方陣のとき、先に突入した幹さんが俺に追い付く形になったから、順番は関係ないことが判明している。
そのため、時間差を作って突入することにしたようだ。
暗部は小グループをいくつか作り、五分刻みで突入する。そうすれば、全滅は防げるだろうという作戦だ。
「ご武運を」
暗部が幹さんにそう言い見送った。一番槍は幹さん一人が務めた。
五分刻みで次々と人が減っていく。そのうち俺たち二人だけになった。
そろそろ桜田たちもここに着くだろう。
「あのさー、健冶」
「なんだ」
「帰ったらコクるわけ?」
「………」
なんなんだコイツは。
今この場に相応しい話題だと本気で思っているのか?
俺は答えなかった。
「なんか楽しそうな話してるね、混ぜてよ」
「神楽?どこ行ってたんだよ」
俺が答えずにいると頭上から神楽が降りてきた。
木の上にいたらしく、服についた枝を払っている。そんな彼女に直弥は目を丸くさせた。
神楽は俺たちと一緒に行動することになっていたのに、ここにいないのは変だと思ってたんだ。
「上にいたら兄弟で積もる話が始まっちゃったから、タイミングがわかんなくってね」
「オレのせいってか」
「だからあたしはあそこで待機してたんだけど、恋バナが咲きそうで思わず見に来たわけ。でもまだ時期が早かったかな?」
「神楽殿、まだ見頃ではありませんぞ」
「ふふふ、そのようですなあ、直弥殿」
おまえらなあ……ふざけるのも大概にしてくれ。
俺には笑えない冗談だ。
「黙れ二人とも」
「怒られちゃった」
俺が注意すると、神楽は直弥に舌を見せた。肩をすくませたと言ってもいい。
これでは、俺が頑固みたいじゃないか。
桜田が俺をどう想っているのかを知りたくないわけではない。だが、無理に結論を出そうとさせたくない。
普通に生活していて関わりがそう多いわけでもなく、普通にお喋りもすれば、隣に座ることもあるし、一緒に買い物にも行った。
そんな関係の俺たちが今さらどうこうなったところで、変わるのか?
そう言えば…夏祭りのときに俺は薄紫だと言っていたか。
『優しいし安心できると思ったからです。なんでもできるし、頼りがいがあるし…それに、一緒にいて心強いですから。直弥さんといると面白いですし。でも、時々不安になります…消えてしまいそうで』
そう言った彼女は、どこか寂しそうに見えた。たぶん、俺は近いようで遠い存在なんだろう。ガラスが一枚、俺たちの間にはある。
何度かそのガラスをすり抜けて触れたが、桜田から近寄ってくることはあまりなかった。それが本当は…少し寂しかった。
それからは触れたくても、容易には触れられない。祭りのときは本当に迷子になりそうで心配だったから、咄嗟に掴んでしまった。嘘をつかないと約束したときに触れたのも、安心させるためだった。ただ、それだけなんだ…
でも、触れようとしても、すぐに消えてしまうのではないかという不安はいまだにある。げんに、祭りのときは近くにいながら明月にあっさりと桜田を持っていかれた。俺が隣にいたところで何も変わらない。
だったら、少し離れて視野を広くした方がいい。それでも傍にいるだけで俺は満足だ。この距離が壊れたとき、どうなってしまうのか想像もつかない。
一緒にいて心強いのは、俺も同じなのにな…
「なあ、聞いてくれ」
「「え?」」
俺が声をかけると、二人して驚かれて思わず苦笑した。
なんだその間抜けな面は。
俺が眼帯を外したのがそんなに意外か?
「目、見えないんじゃなかったの?」
「見えないことはない」
「は?意味わかんねーぞ、健冶」
「俺も…受け入れ難かったんだ」
ずっと隠していた秘密。
ごめんな、桜田。
嘘つかないって、約束したのに。
「俺の右目は普通に見える…だが、見えないものがあるんだ」
「見えないもの?」
そんな怖い顔するなよ、直弥。
大したことじゃないからさ。
「幻獣が…見えなくなる。両目で見ると、右目に相殺されて見えなくなるんだ。サングラスはいくらかマシなんだが」
「何言って…視力はあるってことなの?」
「ある。幻獣だけが見ている風景から消えるだけだ。普通に生活する分には支障はないが、敵が見えないんじゃ俺は使い物にならない。だから、説明するのも面倒だったし、迷惑をかけたくなかったからずっと黙ってた…すまなかった」
「それ、のっちも当然知らないのよね」
「ああ、そうだ。言えば自分のせいだと責めかねない」
「だってさ」
「……っ!」
妙に神楽の視線が動くなとは思っていたが、まさか俺の後ろに彼女がいたとは思っていなかった。
神楽の言葉を追いかけて振り向くと、酷い顔をした桜田と悲痛な顔をした加菜恵さんが立ち尽くしていた。
桜田は泣きそうな、怒ってそうな、眉間にしわを寄せて俺を睨むように見つめていた。
怒りたければ怒ればいい。むしろ、その方が楽だな。
俺は一瞬だけ崩れた表情をまたつくろって、無表情で桜田を見つめ返した。
彼女は何かを言おうと口を動かすが、声にはならなかった。「あっ…あっ……」と、口を歪ませた。
だから、泣くなってば。
「聞いてた…よな。すまない桜田。黙っていた方が良かったと思ってたんだが、今の君の姿を見て後悔している。かつて君が見ていた風景を俺も体験しているのが、なんだか不思議だよ」
今にも膝から崩れ落ちそうな彼女に近寄って抱き締めると、糸が切れたように俺に寄りかかってきた。
必死に崩れないように俺の服にすがりついてくるから、楽になるようにしゃがませてあげた。頭に手を乗せてゆっくりと撫でる。
そんな彼女の頭は、思っていたよりも熱かった。
泣かすつもりはなかった。
泣かせないために、嘘をついていたのに。
俺は…バカだ。
君には、笑っていてほしいのに!!
俺は静かに手を頭から動かして目尻に寄せた。熱い涙が指を伝う。
彼女の嗚咽を胸に感じながら、頬に手をあてその顔をゆっくりと上げさせた。
彼女は涙を流しながら、ただ俺を見つめていた。
その瞳は、俺に何を訴えている?
その瞳は、俺に何を望んでいる?
その純粋な瞳が罪悪感で濁っていく様なんて、隣で見たくないんだ…!!
「け、んじさ……」
「ああ、わかってる」
本当はわかってない。
俺はまた嘘をついて、君をまた突き放す。
こんな臆病な俺なんか、やめておけ。
俺の隣にいたって、責任を感じるだけなんだから!!
「健冶さ…んっ」
でも俺はやっぱり手離したくない、と心の中では思ってる。
その想いを何も知らない君に飲み込ませた俺は、最低だ。
触れるだけのキスを落として、すっと彼女から離れた。彼女の手は宙に浮いたまま。
彼女は全身で泣いている。
目で俺に行くなと懇願する。
こんな俺のために涙を流してくれているのを嬉しいと思うのは良くないよな、とこんな状況なのに笑ってしまった。
その微笑みは、君に届いているだろうか。
「時間だ、行くぞ」
「え、ちょ、ちょ、ちょっ!待てよ!おい!!聞いてんのかよ健冶!!痛いっつの!!」
俺は強引に直弥の腕を掴んで祠の前まで歩き、片手で血液の小瓶を取り出して乱暴に蓋を歯で噛んで開けた。
これは俺の血だから、このまま飲み干して桜田の元に戻ることもできた。
でもそんなことはしない。
そんな中途半端な気持ちは、俺が許さない。
俺は無言のまま、暴れる直弥の腕を引き寄せて祠に触れた。
手離した瓶が祠に当たって粉々に砕け散る音が響く。
そのまま、俺たちは祠の先にある空間に飛ばされた。
『なんで…待って…!健冶さん!!』
ずっと遥か遠くから、君の叫びが聞こえたような気がした。