桜の木の下に【完】
「里桜!この桜、今年は咲く?」
「咲くっちゃ咲くが、まだ若すぎる」
どこかで「ホー………ホケキョ!」とウグイスが鳴いた。
私はそれを聞いて、辺りをキョロキョロと見渡した。でも見つからない。
「ホー……ホケキョ!」と、今度はかなり近くから聞こえてきた。
「里桜!ウグイスがいるよウグイスが!春が来るね!」
私は嬉しくなって里桜に向かってそう言った。
「三月って時点ですでに春のくくりだけどな」
「まだまだ寒くない?」
「俺は寒くない」
「わあっ……!」
いきなり抱き締められて私はビックリしてしまった。
ここにはいないはずの彼の声がする。
「卒業式が終わった後ここに直行したんだ」
「でも、どうしてここに…」
「会いたかったからだよ」
そう、耳元で囁かれてくすぐったくなり身をよじるも、腕の力は増すばかりだった。
「俺なりに考えての結論だ。まだ目は元通りにならないが、それを気にしていられるほど余裕がないのに気づいた……気づかされた。きみがいないと、俺はどうにかなりそうだった」
「そんなの……」
「すまない」
健冶さんとはここ数ヵ月、離れて暮らしていた。
健冶さんは卒業するまで向こうに残り、私はお父ちゃんや神楽以外の暗部の人たちと一緒にこの地に移住した。
神楽は今、どこにいるのかわからない。日本にいないのかもしれない。
私は…明月がいなくなってから、いっさい健冶さんと口をきかなかった。
帰ってきても、おかえりを言わなかった。
怪我をしないで帰ってきてくれたことに安堵した。でも、自分でもわからないけど、近づけなかった。
そのうち、また被災地に赴くことが決定し、いつの間にかそこに住むことになっていた。
そのままの流れで、彼には何も言わずに家を去った。
「私は…逃げたんです」
どう接していいのかわからなかった。
そう思った自分にも戸惑った。
いろんな想いがごちゃごちゃと私に押し寄せてきた。
「健冶さんに会う前はいろいろと言いたいことがあるのに、いざ目の前にすると何を言おうとしたのかまったく思い出せなくなって…結果的に、避けるような形になってしまいました」
「まあ、避けられるようなことをしたからな…」
「自覚あるんですか?」
「そりゃ、あるよ……あれだろ?」
「キス、だよな」とまた囁かれてもう恥ずかしかった。手で熱くなった顔を覆った。
そう、別れのあのキスで思考が停止した。
彼にどんな顔をして話しかけていた?
どんな会話をした?
どんな立ち位置だった?
もう、わからなくなった。
「いきなりしてすまなかったとは思ったけど、後悔はしてない」
さらに、腕に力がこもる。
「今も……したい」
「え、や、ちょっ!」
「我慢するからそんなに慌てるな。こっちが慌てる」
「そうだ、こっちが恥ずかしいからやめれ」
ゴスッ、と鈍い音がしたと思ったら腕の拘束が解かれた。
熱が去って少し寂しく感じる。
後ろを振り向くと、息を切らした直弥さんが呆れた目で、頭を抱えてしゃがむ健冶さんを見下ろしていた。
「さっさと行っちまったから、ホーホケキョでたどったらこれだもんな」
「ホーホケキョ……?」
「さっき聞こえたろ?ホーホケキョ。あれ、オレたちの合図なんだ。つっても、ガキん頃にどっちが上手いかで競ったのがきっかけだけど」
「直弥…手加減しろ!返事をしただけありがたく思え!」
「したさ。それなりに。でもなんかムカついたから」
睨み合う二人にかける言葉が見つからなくて顔を窺っていると「ホー……ホケキョ!」とまたどこかでウグイスが鳴いた。
「悠斗さんも来てるんですか?」
やっと口を開くと、二人はきょとんとした顔で私を見た。
「いや、来てないけど」
「そもそも、悠斗兄さんは理事長をやっているから休めない」
「り、理事長!?学校のですか?」
「そうそう。校長は加菜恵さんの名前になってるけど、悠斗の引き継ぎが終わるまでだぜ」
「全然知りませんでした……」
あの年で!と驚いてそれ以上何も言えないでいると、またウグイスの鳴き声が聞こえてきた。
「本物…ですよねきっと」
もう、どれが本物で偽物なのかわからない。
「取り合えず、帰らね?幹さんには連絡いれたから挨拶しないとな」
「え、」
「ののには内緒ですって頼んでおいた」
「な、名前……」
健冶さんが今、ののって言った!
ののって呼んだ!
言い逃げされちゃったけど!
二人は桜を避けながらずんずんと歩みを進めるため、私は一人置いてけぼりをくらわされた。
ぽつんと、低い桜並木に取り残される。