桜の木の下に【完】
「おまえも帰れ」
「やーよ。あたしは帰らない。こんな気持ちでのっちに会いたくないもん」
「知るか。女はめんどせー生き物だな相変わらず」
「なんとでも言えば?あたしの恋心は誰にも伝わっちゃいけないのよ」
サルが一匹、桜に登った。
その手で触れる枝には、わずかにつぼみが膨らんでいた。
「僕も、こんな桜すぐに大きくできるってのを教えないぐらいにあいつを大事にしてるしな」
「教えてあげないわけ?」
「しねーよ。また寝込まれても困るし、怒るやつがいるしな」
「やーさしーい」
「それに…気長に待つのも悪くねーな。じじくさくなったとは自分でも思うけどよ」
「ふーん」
「あいつのじーさんにも約束したしな、孫を抱かせてあげるって」
春風とともに運ばれてくるのは、明るい未来であってほしい。
これから先どんな苦労があったとしても、笑って終えればそれでいい。
それまでは、見守っていたい。
「健冶さん」
家の庭で、古くて大きな桜を眺めていた彼に声をかけた。
「気になりますか?」
「まあ……」
「これはお祖父ちゃんたちが結婚したときに植えた桜なんです。掛け軸の桜のモデルでもあります」
彼は黙って頷き、私を見下ろした。
ちゃんと、二つの目が。
「……俺で、いいのか」
「もちろんです」
「俺も…いいか?」
「……どうぞ」
「のの…きみが好きだ。正直、いつからなのか、どうしてなのかはわからない。でも、ずっと隣にいたいと思った」
だんだんと縮まる距離を、私は受け入れた。
風は私たちを撫でるように吹き、私たちの知らないどこか遠くへと旅をする。
その風がまたここに戻って来たときも、こうして笑い合っていたらいい。
この桜の木の下だけでなく、どこにいても。
*fin*