桜の木の下に【完】
「加菜恵さん」
俺は穂波家当主の加菜恵さんに声をかけた。
彼女は女にして穂波家の当主であり、校長の伴侶でもある。穂波家は女しか産まれてこないため、婿養子を招くことになっているのだが、代々穂波家は婿養子を当主にすることはなかった。
女だからといって家で待つのは性に合わないらしい。
そのモットーの通り、加菜恵さんは男ばかりのこの場でも背筋を伸ばして堂々としている。
「悠斗くん、桜田さんはどう?」
「あの二人に任せてますから、心配はありません」
「頼りになる弟くんたちね」
クスクスとあかぬけた様子で笑う加菜恵さん。学校の秘書の顔のときとはだいぶ違う。
その飾りのない笑みはこの空気の中ではありがたかった。
今は全員が敵対している。
「……たいへんなことになったわね」
「ええ」
加菜恵さんはそう言って表情を曇らせた。
部屋の中央では上級階級の家が話し合いをしていた。それの結果でどう順番を決めるかが決定する。
俺たちのような弱い立場の者はその周りで出方を待つしかなかった。
「まだ明月は現れていないの?」
「……今のところは」
「でも、こうやって集まっているときに襲われるかもしれないわね」
「たぶんですけど、桜田さんの近くには監視役の人がいると思うんです。幹さんがそこら辺を怠るとは思えませんし、万が一、ということがありますから」
「……それもそうね」
万が一とは、俺と健冶と直弥が倒されたときのことだ。その意味を察知した加菜恵さんはまた沈んだ顔をした。
俺たちが小さかったときからお世話になっている加菜恵さんは、いわば姉のような存在。俺たちの両親とも仲が良く、よく遊んでもらった記憶がある。
加菜恵さんには19歳の妹が一人いるのだが、長女ではないから、と普通の大学に通っている。
幻獣が見えていたことを隠しながら、普通の人間として生きていきたいらしい。まあ、そういう人も珍しくはない。
幻獣に関われば普通の生活を送ることはできなくなり、さらには寿命が縮まるのだから。
「早菜恵さんは元気ですか?」
「元気よ元気!でも最近は学校が楽しいらしくてなかなか帰って来ないのよ、困ったものねえ」
重い空気を打破しようと、妹の早菜恵さんの話をふった。最近は見かけない彼女のことを聞けば、案の定いつもの加菜恵さんに戻ってくれた。
そんな彼女は妹がいないことに寂しさを感じているようだった。
「友達の家を転々としてるらしくて、着替えを取りに家に帰るようなものよ。いったい何日分の洋服を持ち歩いているのかしら。洗濯はしてるみたいなんだけど」
「友達がいて楽しいんですよ、きっと」
「確かに、この世界じゃ同年代の友達なんてあんまりできないわよね。彼氏がいるならそう言ってくれた方がまだ安心するわ」
「彼氏がいるんですか?」
「……女の勘よ」
ふふん、と意味深な笑みを浮かべた。この様子では彼氏がいるに違いない。
だが恐らく、家のことは何も教えていないだろう。一般人には理解できない事情だから。
別れを想定していてもなお、会いたいと思うのだろうか。会いたいと願っても会えない人もいるというのに……
俺たちが話し込んでいると、順番を決める方法が決まったようで話し声がどんどんと広がっていく。
そのざわめきはこちらにまで届いた。
「……占い?」
加菜恵さんの言葉に、俺は眉をひそめた。