桜の木の下に【完】
そんなオレの目の前で、明月のつたによって健冶のシャツがズタズタに引き裂かれた。
健冶は疲労困憊で、とてもじゃないが動けそうにない。寝転がって息を荒く吸ったり吐いたりしている横にしゃがんで、明月は舌舐めずりした。
動けよ、何見てんだよ、助けろよ。
そんな気持ちに反して、足は動かない。
「ぐあッ!」
『良い匂い。美味しそう。瑞々しくて』
露になった腹や腕につたが巻き付いて、一気にその身を擦った。
その鮮血が道路のコンクリートを濡らした。
そして、つたに付いた赤い液体を明月が舐め取ったとき、オレは頭が真っ白になった。
健冶が、殺される……!
『ああ、若い人間ってなんて美味しそうなの。でも、女の方が美味しい』
「………っ。直弥、逃げてくれ…………」
射るような健冶の目に、オレはもう眺めることしかできなかった。
その懇願する瞳を静かに見下ろすことしか………
「け、健冶さん!?」
後ろからした声に、オレは頭から血の気が引く感覚を味わった。
その声の主は、この異様な空気をもろともせずに突っ切り、オレの横を通り過ぎた。
「さ、くらだ……止せ……来る、な……」
「健冶さん!?なんでこんな血塗れに!?」
『……欲シイ』
健冶のもとに駆け寄ったののちゃん。
恐らく、力がないから明月の姿を見ることもなければ、水の膜の影響を受けることもないからあんなに普通に駆け寄ることができたのだろう。
でもオレは?
オレはここから一歩も動けない。
そっちに行けない。
「直弥さん!早く手当てをしないと!」
「あ……あ……オレは……」
「直弥さん?」
怖い。
怖い怖い怖いコワい怖いコワイコワイコワイ。
『力……力……欲シイ。食ベタイ』
狂ったような、明月の血走った赤い目を見て、オレはその場にがくりと膝をついた。
ののちゃんはアレが目の前にいるのに全く気づかないのか……?
呑気に怪訝な表情をオレに向けているののちゃんの横に座った明月は、その指先をののちゃんに向けると、爪を喉にかけた。
『ココ、柔ラカクテ美味シソウ』
ニタア、と笑った明月は、もうヒトには見えなかった。
……バケモノ。
『モウ、我慢デキナイ』
明月が指先に力をこめたとき、オレは目を瞑った。
ダメだ……と。