桜の木の下に【完】
「え…?」
「1時間ぐらい前にね…心臓発作だそうだよ。私も悲しくてね、彼は私の恩師だったから」
「校長、感傷に浸っている場合ではありません」
「おお、そうだ」
ハンカチで目元をふきふきしていた校長先生は悠斗さんの言葉にハンカチをしまうと、コホンと咳払いをして赤くなった目で私を見た。
「心して聞いてください。今現在、お祖父様の幻獣が新たな主を求めてさ迷っています。そして、あなたはお祖父様と血の繋がりがあり、パートナーがいません…」
「あ、あの!……私は幻獣が見えないんです!それと私と何の関わりがあるんですか?」
最初の「え…?」から固まっていた私は氷が融けたようにまた体温が戻った。
そして憤りと悲しみと焦りと、何もかもがぐちゃぐちゃになったような沼にはまった感覚に陥った。
お祖父ちゃんが、死んだ…?
「桜田さんは幻獣を見ることができませんが…それは封印されているからです」
「封印…ですか?」
優しかったお祖父ちゃん。お祖母ちゃんもお母さんもいない私にたくさんのことを教えてくれた。
男手だけで育った私が世間とずれないように四苦八苦してたっけ。
スカートをはかせたり、髪を結んだり、料理をしたり、ファッション雑誌を読ませたり。
お祖父ちゃんが近くのコンビニでファッション雑誌を買ってきたときはさすがに驚いたけど。
「失礼ですが、あなたは幼い頃の記憶がありませんね?お母様との思い出も…それは、あなたの幻獣と共に封印されているからです。お祖父様は自分の家の女性は皆寿命が短いことを悲しんでおられました…その原因が幻獣にあると判明したとき、せめて孫だけは長生きさせてやりたいと強く感じられたのです。それで封印に乗り出しました」
「…失礼ですが、信じられません」
「桜田さん、これは全て事実です」
「確かに幼い頃の記憶はありませんが…それは誰だって同じでしょう?私の母は私を産んですぐに死んだんです…変なことを言わないでください!」
「桜田さん!現実を見てください。今はもう逃げている場合ではないのです!私たちもあなたを保護下に置かなければならなくなるほど、事は重要なのです」
「…お祖父ちゃんに会わせてください」
「ダメです。幻獣がまだ潜んでいるかもしれません」
「もう、幻獣幻獣、ってうんざりなんですよ!幻獣なんて私は何も知らないんです!どんな姿をしているのかも、どのようにして人間と関わっているのかも!すぐにそんな、お祖父ちゃんが死んだとか私の記憶が封印されてるとか信じられるわけないでしょう!?」
私は肩で息をし、ぎゅっと膝の上で拳を握った。
憤りだけが脳内を支配し何も考えられない。
二人はそんな私を悲痛な目で見た。
そんな目をされたって何も感じない。憐れみなんていらない。きっと、私が激情に身を任せて喚きたてているだけだと思ってるんだ。
でも実際は違う。腹を立てているのは本当は自分に対してなのだ。ろくに家のことを知ろうとしなかった、幻獣についてを学ぼうとしなかった私自身が悪い。
これは、私の心だけの問題なのだ。
「……お茶をお持ちいたしました」
はあ…と大きく呼吸をしていると、スッと目の前にティーカップが差し出された。目だけでそちらを見ると、綺麗な女性が穏やかな笑みを私に向けていた。
この人、誰?
「すみません校長、遅くなりました」
「いやいや、いいタイミングだったよ。桜田さん、彼女は私の秘書の加菜恵ちゃん」
「どうぞ、冷めない内に召し上がってください。少しは落ち着きますから」
3人分の紅茶がテーブルの上に並んだところで彼女は言った。
私はいったん心を落ち着かせようと紅茶を一口飲んで、ほっと息を吐いた。
本当だ、なんだかほんわかとした感覚になってくる。
……なんだか眠くなってきたような。
「もしかして、加菜恵ちゃん?」
「はい、なんでしょう」
「…何か入れた?」
「眠くなる薬を少々」
「いや、少々にしては効き目が速い気が…」
「少々です」
重たくなる瞼の奥で、焦った校長先生が面白いぐらい動揺しているのを見て私はクスッと笑った。
そして、こてんとソファーに崩れるようにして倒れ、そのまま目を瞑ってしまった。
「桜田さーん?桜田ののさーん?」
そんな頼りない声も、やがては途切れた。