桜の木の下に【完】
夏祭り
*
「「夏祭り?」」
「そ。日常を忘れてはしゃぐのもたまにはいいんじゃない?」
そろそろ夏休みに入ろうとしていた頃に、神楽はお祭りのチラシをひらひらと見せながら誘ってきた。
今では見なれたエプロン姿の健冶さんが、台所から戻ってきて茶の間に座るのを待ってから、神楽はそんな提案をしてきたのだ。
中華な夕飯を四人で食べながらお祭りについて相談する。
今は四人しかいないけど、最初は掃除とかで家には私たち以外にも人がいたのにいつの間にか来なくなっていた。放って置いてくれるのは正直気を使わなくてありがたかったけど、その分、あの人たちは何をしているのだろうと考えてしまう。
お父ちゃんたちは明月と悠斗さんの消息を血眼になって探していると思うと、何もしないでただのうのうとご飯を食べてもいいのか、と不安になる。
無茶をしてないといいんだけど。
「お祭りかあ……そーいや行ったことなかったな。夜に出歩くのは色々と面倒だったしさ」
「面倒?」
「夜は野性の幻獣に遭遇しやすい」
「よく夜はオバケが出る、とか幽霊に会いやすい、とか言うじゃない?それの延長にあると思えばいいわ」
「へえ……知らなかった」
直弥さんの言葉に反応すると、健冶さんと神楽が補足してくれた。
私も夜はあんまり出歩かなかったけど、お父ちゃんと一緒にホタルを見に行ったり、流れ星を見に行ったりしたことはあった。
まさか、そんな危険を伴っていたとは。
「……俺はパス」
「なんだよノリが悪いな」
「留守番するからいい。三人で楽しんでこい」
「確かに、夜に家をがら空きにするのもよくないかもしれないわね。それに、夜にグラサンして歩けないしねー?」
「グラサン……」
「夜にグラサンはナンセンスよ、そう思ったからパスするんでしょ?」
「…………」
「無言は肯定ってことで。じゃ、お祭りは今週の日曜日に行くから忘れないでね」
急に曜日が出てきたから素早く思い浮かべた。今日は木曜日だから、お祭りはまだ少し先になる。
神楽はお味噌汁を飲み干すと、重ねた食器を台所に運んでそのまま自分の部屋に戻って行った。
私は神楽が座っていた座蒲団の上にあるチラシを掴むと、まじまじと眺めた。
片面刷りのそれには、でかでかと花火の写真が載っていた。花火は二日目の日曜日だけ打ち上げるようで、夜空に浮かぶ大輪の花はさぞかし迫力があるんだろうな。
毎年、音だけやテレビ越しでしか楽しめていなかったから、一度は直に見てみたいと思っていた。
…………行きたい!!
「なにニヤニヤしてんの」
「え、いや、それは……」
口許が緩んでいたのか、それを直弥さんに指摘されて私は口ごもった。
楽しみだから、と言おうと口を開きかけたけど、健冶さんがいる手前どう答えようかしばらく迷ってしまった。
すると、カチャンと健冶さんが箸を置く音が妙に響いてそちらを見ると、もう立ち上がっていて彼の背中しか見ることができなかった。
どんな表情をしているのかはわからないけど、その無言の背中が語っているような気がした。
どことなく哀愁のオーラが漂っている。
「直弥、食器割るなよ」
「わーかってるってー」
今日は直弥さんが食器洗いの当番で、前々回ぐらいのときに一枚お皿を割ってしまったことがあり、それを注意されたのだ。
何を考えているかわからないけど、直弥さんは気にせずに残っている大皿のおかずを食べているから気にかける必要はないと思って、無言のまま健冶さんを見送った。
そんな私はというと……食べるのが遅いからいつも迷惑をかけている。
「なあ、ののちゃん」
「はい?」
健冶さんの足音が聞こえなくなったところで、それを待っていたかのように直弥さんは顔を上げて私を見た。
その顔が真剣そのものだったから、何か重い話でもあるのかと思って慌てて口の中にあるものを飲み込んで、少し緊張しながら次の言葉を待ったけど、取り越し苦労に終わった。
あんなことを純粋に真面目に聞いてくる彼をちょっと恨めしく思ったのは、黙っておこう。
「やっぱ夜にグラサンってナンセンスなんかな。オレは逆に、そんなナンセンスをやってのけるヤツはカッコいいと思うんだけどな。健冶は恥ずかしいからパスするんだとオレは思うんだけど、オレもグラサンすればアイツも参加するかな?ののちゃんどう思う?」
「私は……」
私は別の意味で冷や汗をかいた。
でも、苦し紛れの私の提案に直弥さんが目を輝かせてくれたから、私も嬉しくなった。
早く日曜日にならないかなー……