桜の木の下に【完】

*


「健冶さん、聞いてますか?」

「ああ、聞いてる」

「どこか上の空でしたけど」

「ちょっと思い出していただけだ」

「……?」


「花火まであと三十分ですねー」と時計を確認する桜田を見下ろして、気を使わせたかな、と少し反省した。

聞き分けがいいことに甘えて、自分の世界に入りすぎていたかもしれない。桜田は遠慮がちな性格だし、空気を読みすぎるときがあるから、ついつい放置してしまう。

悩み事や言いたい事があっても、言えないから自分の中にどんどんと溜まっていく。

昔の俺はそんな感じだった。大人っぽい兄と幼すぎる弟の真ん中にいた俺は、自己主張の少ない子供だっただろう。

時には弟が我が儘を言う一方俺が遠慮し、時には兄の言葉で自分の幼さを実感する。

板挟みにいたから、我が儘を言うこともませたことを言うこともなく、どちらにつくこともせず過ごした。

ふと最近はこんなことを思うようになった。

いったい、俺は何色に見えるだろうか。

俺には兄は青で、弟は赤に見えた。

じゃあ、俺は何色なのか?


「薄い紫色ですかね」 

「ん?」

「え、今聞きませんでしたか?『俺は何色に見えるんだろう』って」

「あー……ヤバいな」

「もしかして独り言でしたか!?」

「まあ……」

「すみません…答えてしまいました」

「いや、いいんだ。謝る必要はない。なぜそう思った?」


にやけた口許を手で隠しながら、慌てる桜田から視線をそらしてそう聞いた。

桜田は気まずそうに俯いたが、口調ははっきりとしていて、こんなに騒がしいところでもしっかりと耳に届いた。


「優しいし安心できると思ったからです。なんでもできるし、頼りがいがあるし…それに、一緒にいて心強いですから。直弥さんといると面白いですし。でも、時々不安になります……て……しまいそうで」


最後だけはボソボソとしていて聞こえなかったが、俺の緩んだ頬はなおりそうになかった。

紫か…思ってもいなかった色だ。

てもまあ、青と赤の混ざった色だからちょうどいいのかもしれない。

こんな俺にも、色はあったんだな……


「………ヤバいな」

「え?何か言いました?」

「いや…何も」


声をかけられて目があったけど、そう言いながらつい桜田の無垢な瞳から目をそらしてしまった。

俺は何かが中で膨らんでいくのがわかった。それの正体を知っているけど、気づかないふりをしていたい。前々から気づいていたもの。

まだ、蓋をしていたい。これはあの家に持ち込んではいけないものだ。

大丈夫だ、今はこの炎は小さい。今ならまだ消せる。

これを持ったところで、迷惑をかけることになるだけだ。

珍しいだけだ。今まで異性と関わる機会があまりなかったから、近くにいるってだけで特別に感じてしまうだけなんだ。


「あ、神楽が着てた浴衣っぽい柄がちらっとですけど見えました!神社に向かったみたいです」

「神社?」

「はい。チラシに書いてあったんですけど、この先にある神社でおみくじを引くのが恒例みたいです。おみくじは何年も引いてなかったので、神楽とここに来るときに引こうね、という話をしました。もしかしたら先に行こうとしているのかもしれません」

「じゃあ急ごう」

「はい!」


俺たちはまた前を見据えながら人の合間を縫って進んだ。

途中、また桜田が転ばないよう気を配りながら、しっかりとその小さくてやわらかい手を繋いで……
 
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