桜の木の下に【完】
*
夜ご飯を食べ終えてくつろいでいたところで、神楽が水の入ったバケツを持って現れた。
それを見て、直弥さんは歩き出すと、居間から出て行ってしまった。
……なんで皆して無言なの?
神楽と健冶さんは目配せすると、神楽が先に庭に出て、健冶さんも続けて庭に出た。
「あのー…なにしてるの?」
訳がわからなくて声をかけながら庭を覗いてみると、神楽がちょうどバケツを地面に置くところだった。
バシャン、と水のはねる音が響いて少しビックリしていると「桜田も来い」、と健冶さんに声をかけられた。
やっと口をきけたと思ったら、いきなり命令されてさらに困惑したけど、言われた通りに庭に出た。
すると、私のすぐあとに直弥さんが出てきた。
「ジャジャン!花火やろーぜ!」
「え……?花火?」
「ローソクとマッチをくれ」
「あいよ」
「ちょ、花火多すぎない?こんなに買ってきたわけ?」
「いーじゃん別に。多い方が楽しいって。二刀流とかやりたくない?」
「………まあ」
私をおいて三人でテキパキと準備をする姿を見て驚いたけど、花火が袋から出された瞬間にもうどうでもよくなった。
どうでもよくなったというか、今からすることがやっと理解できたのだ。
「スゴイ!こんなにたくさん花火がある!」
「あとで線香花火で競争するから楽しみにしてろよ?」
「うん!」
「火の準備、終わったけど」
直弥さんとはしゃいでいると、健冶さんの手が横から伸びてきて花火を一本摘まんだ。
すると、直弥さんが焦ったように両手に花火を掴む。
「健冶、抜け駆けは許さんぞ!」
「抜け駆けとかないだろ」
「あるの!こうやって、さ!」
「あ、待ってよあたしもやる!」
「ええっと……」
二人が花火に点火させてるのを見て私も焦ったけど、花火の種類がよくわからなくて手が宙をさ迷った。
長かったり太かったり…
でも、どれが正解なのかなんてないのかもしれない。
「これにすれば?一番スタンダードなやつ」
「あ、はい」
「俺のやつにくっつければいいから」
健冶さんが見かねたのか、花火を選んで私に渡してくれた。
彼の輝いている花火にそれを近づけると、白煙を出しながら青い炎を走らせた。
でも、それがサンダルで剥き出しの彼の足に降りかかって慌てて向きを変える。
「わっ!大丈夫ですか!?」
「ああ、平気。次から気を付ければいいから気にするな」
「でもすみません!」
「せっかくなんだから、楽しめばいい」
健冶さんの視線の先にはブンブンと花火を振り回す直弥さんの姿があった。
……あ、危なくないのかな、あれ。
「健冶!花火取ってくれない?」
「ああ」
呆れたように笑って、健冶さんは適当に花火を掴むと彼の隣に立って鮮やかな光を眺めた。
私も終わってしまった花火をバケツに放り込んで、次の花火に点火する。
青、緑、黄、紫……
カラフルな光のショーに見いる。
花火を初めてやってみたけど、その終わりが意外と早くて、あっけなくて、すこし寂しかった。
ネズミ花火には肝を冷やされたけど、最後の線香花火の静寂はわりと好きだった。
パチパチパチ……バチバチバチバチバチッ!
元気よく音を鳴らしてもなお、皆は静かに息を殺してそれを見つめる。
落としたくない、落ちないでほしい、まだ頑張れる。
そうやって応援されては、バケツの水に落ちて、ジュッ、と音を立てる火の玉。
それを繰り返していると、それぞれ最後の一本になってしまったことに気づいたのは、私が線香花火を持ってローソクに近づけたときだった。
「あ、待って待って、これで最後っぽくない?」
「あ、ホントだ。てーことは、やっと競争か?」
できるだけ長く、その儚い灯火を保てるかの競争。
これは運試しなのか、それとも技術力の大小なのか。
「いくよ、3、2、1…スタート!」
神楽の合図でいっせいにローソクに先端を近づけて点火する。
バケツの上で踊る四つの火花は、その水面にも幻影を映して二つの花を咲かせていた。
誰が先に終わってしまうのか。
誰がまだこの楽しい時間を終わらせないでくれるのか。
そんな想いが時間とともに募る。
一瞬とも永遠ともとれる時間の中で、私は微動だにせずただただしゃがんでいた。
「あ」「あ」
「あーあ、終わった」
神楽の少し後に私が落ちて、次に直弥さんが落ち、最後に健冶さんも落ちてしまった。
「健冶ー、なんかリアクションしろよ」
「いや、集中しすぎて声が出なかった」
「あーでも、わかるわその気持ち。終わったのを認めたくないっつーか」
「ご、ごめんなさい!三人とも。私のせいで花火見られなかったから…」
「いやー、たぶんだけど、打ち上げ見られてたら今ここでやってなかったと思う」
「そうねー、わざわざやってなかったかも」
私の言葉に直弥さんと神楽は照れたように頭を掻いた。
その後は花火の話で盛り上がってたんだけど、足や腕を蚊に刺されているのに気づいて慌ててお開きにし家の中に戻った。
お風呂に入ってから刺された箇所に薬を塗る。
「うわー、ここにもある。ズボン履いてたのに!」
忌々しく太ももに薬を塗っていると、後ろから足音が近づいてきた。
首を捻ると、健冶さんが私の首のある一点を見つめて指さした。
「ここも刺されているが」
「ウソ!どこですか?ここですか?」
「もっと右」
「え?え?どこですか?」
「……はあ、貸せ。俺がやるから」
薬を手当たり次第にうなじにつけるも、場所が違うみたいでため息を吐かれてしまった。
薬を奪われたけど、そのままその手で髪を持ち上げた。邪魔にならないようにそうしたんだけど、「上げなくて平気だから」とまたため息が聞こえた。
言われた通りに降ろすと、首筋に感じる濡れた感触。
……あ、まだ右の方だったんだ。
スースーするそこを手で扇いで乾かしてから触ってみたけど、腫れている感じはしなかった。
「ありがとうございます、健冶さんは大丈夫でしたか?」
「なにが?」
「塗り忘れですよ」
「さあ。鏡で確認したけど」
薬にキャップを付けて机に置くと、足早に健冶さんはここからいなくなってしまった。
彼がいなくなると、眠気が込み上げてきてあくびが口から漏れ出る。
手で押さえてもまだ出てくるあくび。
昼間にあんなに寝たのに、まだ寝足りないなんて……
私はふらふらと居間から出て自分の部屋の前まで来たけど、ピタッと襖にかけた手を止めた。
「そうだ、掛け軸……」
あの部屋のことなんて忘れてたのに、なぜか急にぽんと思い出した。
掛け軸にいた人影。
あれをもう一度じっくりと見てみようという気になり、お祖父ちゃんの部屋の襖を開けた。
でも、ポツンと置かれていた机も、本も、そこからなくなっていた。
「片付けたのかな……」
お手伝いさんがせっせと物を運んでいたのを思い出しながら、遺品だけだよね?掛け軸も遺品に入るのかな?と疑問に思ったけど、そこにあるのか無いのかだけを確認しようと、お仏壇のある部屋を開けた。
「……写真、やっぱり無い」
二人の写真がないのを見て、掛け軸の方に向かってみて妙な違和感に気づいた。
掛け軸は無かった。
壁が掛け軸の形通りに日焼けしていて、四角く浮き上がって見える。
掛け軸はない。
でも、花瓶はあった。
わりと高級そうな大きな花瓶なのに、しっかりとそこに居座っている。これも持ち出してもよかったのではないだろうか。
きっと、二人の遺影にも見えるように、反対側に置いておいたのだろうこの花瓶……
だからこそ、写真や掛け軸とともに処理してもよかったのではないだろうか。
「うーん…意外と重いとか?」
花瓶に恐る恐る両手をつけ、上に持ち上げてみた。
運べないような重さではないけど、私一人だけじゃ無理かも。
下に降ろすと、元の位置とずれてしまったのか、床にできた日焼けがくっきりと見えた。
そして、ずれた分、花瓶の下に何か紙切れがあることに気づいた。和紙っぽいその紙を拾うべくまた花瓶を持ち上げ少しずらしてみた。
和紙には文字が書かれていた。
『解』と書かれたその紙を摘まみ上げると、花瓶がガタガタと勝手に揺れ始めた。
「わっ、なに?」
電気をつけているとはいえ、その光景にドキドキと心臓が暴れだす。
何か出てくるのだろうか…
ガタガタという音がだんだんと大きくなり、とうとう倒れそうに一際大きく揺れると、ガタンと畳にきちんと底をつけてピタリと止まった。
「な、なに…?」
同じ言葉ばかりを言いながらそれを眺め終えると、しばらく待っていてもなにも起こらなかったからほっとした。
「はあ…もう、なんなの」と愚痴を溢しながら、持ち上げようと花瓶を覆うように腰を曲げて手を床につくと、無かったはずのものが見えて驚いて尻餅をついてしまった。
「え、え、え、なんでなんでなんで」
壊れた機械のように呟く。
その花瓶の中…花瓶の中いっぱいに満たされていたのは、紛れもない水。
そう、さっきまでなかったはずの水が花瓶の中になみなみと広がっていたのだ。