桜の木の下に【完】
秋
*加菜恵side*
最近、夏休みのときもおかしいとは思っていた。
いつの間にか帰ってきていたり、私がいない間にどこかに行っていたような感じだったけど、行き先については話す気はないようだった。
きちんと学校でも仕事をしていたし。
ひーちゃんにお願いして気配を探ってみても特になにもないみたいだったから安心していた。
でもそれは間違いだった。
夏休みも終盤に入ったころ、お風呂から出てついうとうととしていると、ひーちゃんがいきなり私に飛び付いて起こしてきた。
そのとき、ひーちゃんは何かに怯えていた。
背中を撫でてなだめようとしてもなかなか言うことを聞かず、これはただ事ではない何かが起きているのだと思ったんだけど、その何かがさっぱりわからない。
縮こまってばかりのひーちゃんを抱き上げて外に出ようとすると、ジタバタと暴れられてなんなんだ、と途方に暮れた。
360度その場で回ってみると、ひーちゃんはある方向を向いたときだけ顔を背けた。
その方向には彼の部屋があった。
彼の部屋に何があるというのか、と思って階段を昇ると、部屋には鍵がかけられていた。
何かに集中しなければいけないときはいつも鍵を掛けるクセがあって本当はやめてほしいんだけど、夕飯のときは一緒にリビングで食べたし、仕事が立て込んでいるわけでもないはず。
仕方ないと思って、ひーちゃんの額におでこをくっつけた。
その瞬間、ひーちゃんがこうなってしまった原因がわかった。
「明月……!?」
その気配は紛れもなく、明月のもの。
明月の気配が彼の部屋から漏れていることに気づいた私は、ドアを力一杯叩いた。
「真人(まさと)!真人!」
彼の名前を呼びながら必死に叩く。彼が明月に襲われているのかもしれないと思うと、身体が勝手に動いてしまった。
一分ぐらい続けていると、眠そうにドアを開ける真人が部屋から出てきた。
「真人!明月の気配があなたの部屋からするのよ!」
「え?明月…?なんで?」
「それはこっちが知りたいわよ!」
「気のせいじゃないの?」
「だって、ひーちゃんが……って、あれ?」
ドアを叩く前に床に下ろしたひーちゃんは、何事もなかったかのように顔を洗って階段を一人で降りて行ってしまった。
あっけに取られる私の肩を真人が軽く叩く。
「まあまあ、寝ぼけていたんだよ」
「じゃあなんで鍵なんて!」
「鍵?ああ、鍵ね…僕も寝ぼけていたみたいだ」
「もう!しっかりして!」
「そんなに怒らないでくれよ」
あはは、と能天気に笑う彼に腹立たしさを感じたけど、安堵が急に降りてきてもうどうでもよくなってきた。
これ以上は体力の無駄だと経験が判断したんだろう。
でも、気持ちを奮い立たせた。
「お風呂、空いたから入ってきたら?」
「はいはい」
真人はあくびをしながら階段をゆっくりと降りて行った。
私はタイミングを見計らって、ひーちゃんを呼び出して探らせる。
もう気配は薄くなっているようだったけど、完全には消えていなかったみたいでひーちゃんは机の前でぴたりと立ち止まった。
そして、しきりにある引き出しにふんふんと鼻を近づけている。
そこか、と思って引き出しに手を掛けたとき、その腕を力強く掴まれて口を塞がれた。
密着する身体と耳元で囁く声に抗うことができない。
「止めてくれよ…こんな真似するの」
「んー!!」
「僕だってやりたくてやってるわけじゃない。君を傷付けたくなんかないんだ。だから、大人しくしててほしい。君を護るためなんだ」
「ん……」
「いい子だ」
ああ、眠くなってきた。
きっと、次起きたときにはこの出来事はすっかり忘れている。
彼の能力は記憶を消すことだ。
こんな一瞬の出来事、彼にとってはなんてこともない………