桜の木の下に【完】

「直弥に何言われたんだ?」


食器洗いを終えた健冶さんが戻ってきてこたつに座った。

私はビタミンを取るためにミカンを食べているところだったけど、急いでそれらを飲み込んだ。


「えっと、話を聞いてあげてって…よくわからないんですけど」

「なんなんだ、あいつは」


健冶さんは舌打ちをしそうなぐらい顔をしかめた。

それにしても、彼はなんでそんなにイライラしてるんだろう。普段は家の中でもポーカーフェイスを貫いているのに。


「何かあったんですか?」

「…なぜそう思う?」

「なんだか焦っているような気がして」


そう、焦っている。

神楽がいなくなってから…いや、悠人さんがいなくなってからなのかもしれない。

健冶さんは一人で何かを抱え込んでいるように感じられたのだ。


「私でよければお話を聞きましょうか?話せば楽になったりしますよ」

「話すことのほどでもない」

「でも目はそう言ってない気がします」

「いいんだ…これは俺の問題だ。俺の意識の問題だから、桜田が気にすることじゃない」

「でも気になります」

「でも、でも、って…あー、なんなんだよもう…………」


あ、仮面が剥がれた。

そう表現するのが合っているんじゃないかと思うぐらい、健冶さんは素になった。

彼はこたつの向こう側で仰向けに寝転んだ。おかげで、その顔はちょっとしか見えなかった。


「たいしたことじゃないんだ、本当に」

「本当ですか?」

「ああ」

「ホントにホントに本当ですか?」

「ライオンはここにはいないぞ」


こたつから抜け出して四つん這いになって向かい側にまわると、目の上に手のひらを乗せていた。

無意識にその手を退けようと手を伸ばすと、手首をパシッと掴まれた。

えっ、とビックリしていると、健冶さんはなぜか顔をしかめた。


「まだ熱っぽいんじゃないか?」

「そうかもしれませんけど…」

「眠くならないのか」

「まあ、そうです。薬は飲んだんですけど」


「アハハ、」と参ったように笑うと、彼はため息を吐いて手首を解放してくれた。

でもまだ怒ったような顔をしている。

それを見て「何か悩んでるんですか?」と言いそうになったけど、グッと喉の奥でこらえた。

またはぐらかされるに違いない。

私はその場で正座をして彼を上から覗いた。

片目だけが私を捉えている。


「その…もう片方の目ってどうなってるんですか?白内障みたいに白くなってたりとかは………」


何か話を続けたいと思って何気なく聞いてみると「やめておけ、見せたくない」とあっさりと断られた。

まあ確かに、本当にそうなってたとしたら忘れられないかもしれない。


「……なあ」

「はい」

「俺はどうすればいいんだろうな」

「何がですか?」

「明日から学校に行く必要がなくなって、時間はたっぷりとある。その間に神楽を探しに行くべきか、幻獣退治に協力するべきか、明月の行方を探るべきか……悠斗兄さんを探しに行くべきか」

「それをずっと悩んでたんですか?」


その問いに「ああ」と答える彼の声は弱々しかった。

明日から学校に縛られずに行動することができる。

それはつまり行動の自由が許されているということで、各々が自ら考えて行動できるということを意味している。

でもその裏返しに、迷いが生じてしまう。

何をするのが一番良いのかは誰も教えてくれない。


「それなら、神楽を探しに行きたいです」

「なぜそう思う?」

「全てに繋がってるような気がしたんです。神楽が明月の協力者を探す任務を受けていたなら明月にいずれはたどり着きます。明月にたどり着けば悠斗さんに繋がります。その最中に幻獣に出くわしたら退治すればいいんです」

「そんなに上手くいくか?」

「わからないですけど、悩んでても何も始まりませんよ」


そんな私の言葉に彼は口角を上げて手のひらをまた目にあてて「降参だ」と愉快そうに笑った。

しばらくして気がすんだのか、その手のひらをどけて私を見た。

心なしか、その眼差しは熱かった。


「だが、第一はきみの護衛だ。俺たちの手の届くところにいてもらわないとな」


彼は垂れている私の髪を指に絡めてスルッと流し、ポンポンと頭を軽く叩いた。

その細くて角張った大きな手に無意識に触れると、力強く包まれた。


「絶対に護る。約束する」


健冶さんの硬い決意が表れたその言葉に、私は不安を覚えた。

健冶さんの言葉は正直嬉しく思う。

でもその反面、ちょっと力み過ぎてる気がする。

健冶さんはどちらかというとサポート役だった。直弥さんが突っ走っても、健冶さんが上手くフォローする感じで。

そんな彼が悠斗さんの代わりをしようとしてるんだったら……心配なんだ。
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