桜の木の下に【完】
「ダメです、健冶さん」
「ん?」
「私は約束できません。約束は同意しないと成立しませんよ」
私は彼の手を、自分の両手で逆に包み込んだ。
驚いたような彼を尻目に、少し強い口調で言ってしまった。
「私は健冶さんも直弥さんも心配なんです。護られる側もツラいんですよ?いつどこで二人が傷つくかわからないんです。私だけ安全な場所でただ二人の帰りを待っていることはできません。それを今日はっきりと実感しました」
熱が高くて混濁した意識の中、無意識に探してしまうのは二人の姿。
どこにもいない…なんで?どうして?
二人の声もしない、静かな家の中で何もせずに寝そべっている自分を情けなく思った。
お祖父ちゃんもこんな感じだったのだろうか。
私が学校に行ってて、お父ちゃんが出掛けているとき、お祖父ちゃんは一人ぼっちでぽつんと座っていたのだろうか。
明月には有り余った力がある一方で、お祖父ちゃんはどんどんと弱っていく。
それを知ってても抗えない自分をどう思っていたのだろうか。
「だから、私の約束も守ってください」
「約束?」
「私に嘘はつかないでください」
「嘘なんてついたことないはずだが」
「神楽のこと隠してたじゃないですか」
「あれは……純粋に、彼女を友達として見てほしかったのが理由だ」
「私は色眼鏡で他人を見ません。生い立ちがどうであっても、目の前のことを大事にします。今は…健冶さんが大事です」
「俺は……」
私の両手からすり抜けて彼の手が伸び、頬にそっと添えられた。
確かめるように親指が頬を撫でてくすぐったい。
「……いや、なんでもない。きみの言う通り神楽を探そう。手掛かりは俺たちの家が見えたっていう窓からの角度だ。桜田にも手伝ってもらいたい」
「その前に風邪早く治せよ」と健冶さんはあっさり言うと、手のひらを離してこたつから出てしまった。
立ち上がって私を見下ろす。
「俺はもう寝るよ、おやすみ」
そう言いながら私の髪をくしゃくしゃに撫でて足早にさっさと行ってしまった。
「おやすみ、なさい………」
もうすでに見えなくなった背中に向けて挨拶を返したけど、静かに溶けていった。
彼の名残が漂ったこの空間は、なんだか落ち着かなかった。
ざわざわと胸の中がざわつく。
本当に落ち着かない。
「………っ!」
そして、手のひらを握ったり、頬を触られた感触を思い出して一人悶絶した。