金曜日の恋奏曲(ラプソディ)
今日も、少し右肩上がりのあの人の名前。
そっと、指で撫ぜて見たら、思っていたより凹凸が激しくて
須藤くんは筆圧高め…。
なんて、頭の片隅にメモをしてみたりする。
表は、上からずっと"須藤悠太" "長谷川琴子" "須藤悠太" "長谷川琴子"。
それだけで、くすぐったくて。
1番下の"須藤悠太"の下の欄に、やっぱり小さめに薄く"長谷川琴子"って名前を書いた。
そして、動作の全てに緊張が走る。
第2学習室までの短い道のりも。
呼吸一つにすら気を使って。
たどり着いた扉の前で、少し立ち止まって、ゆっくり扉を開く…。
キィ…と軽く立った音に、あ...と顔を上げた。
まさかーーーそんなはずないと思っていた。
だって、今まで1度だってなかったから。
私達はずっと、お互いに『いるけどいない』距離だったから。
まさかーーーまさか須藤くんが入ってきた私を見た、なんて。
目線が、バチッとあってしまった。
…っ!!!!
心の中で、声にならない声が出た。
私は思わず唾をごきゅっと飲み込んで、ドアノブを持つ手に力を込める。
微かにーーーほんの微かに、須藤くんの顔が緩んだように見えた。
でも、そのままフッと下向いてしまう。
私は無意識のうちに止めていた息を静かに吐き出した。
……びっくりした。
私は、いつものようにそそくさと定位置の座席に座る。
………びっくりした………。
まだドキドキ言っている心臓。
だけど、いつもの通り体を動かす。
あまり音を立てないように…って。
また見られたら、恥ずかしいから…。
静かに、いつものように、数学のプリントを出してシャーペンを2回ノックする。
でも、その次の瞬間私はまた息を止めることになった。
「…面白かった?」
って、須藤くんが言ったから。
1度その台詞が、頭の中で、ハスキーがかった低音と共に反芻された。
誰に言ってる?
…って思って顔を上げて、部屋には2人しかいないということに改めて思い至る。
今度はさっきと比べ物にならないほど近い距離で、目線がバチッとあっていた。
今、須藤くんが、私に、声をかけた。
やっと気付いて、そしたらまた胸の奥の方が、きゅううってなって。
あ、これもまた…。
また、喉の蓋が閉じたみたいに、声が出ない。
何か、何か言わなきゃって…。
前も全く同じだったのにって…。
須藤くんは、私を待ってるみたいにただじっと見ていたけど、あ、と気がついたように言った。
「…ごめん、言葉足らずだった。こないだの、本の話。」
…やっぱり、その思春期ならではの不安定さを残しながらも、どこか透き通った、ハスキーな低音が、耳に心地よくて。
なんだか、熱に浮かされてるみたいにふわふわするのに、それがたまらなくて離したくないって、心が言う。
何より、私がただ答えに詰まってしまっただけなのに、ごめんって須藤くんが謝るなんて。
「違う、違うよ、何の話か分からなくて黙ってたわけじゃないの。須藤くん悪くないよ。」
って、なんで私は咄嗟に言えないのかな…。
でも、今度こそ、ここまで須藤くんが言ってくれたのに黙っているわけにはいかない。
私は、膝の上に置いていた手を、ぎゅっと握りしめて絞り出した。
「面白かった…よ。」
2人きりの学習室に、妙に声が反響して聞こえる。
「…凄く、凄く…っ…。」
もう1度、面白かった、と続けようとしたけど、しつこいと思われたら嫌だと思って、止めた。
そのせいで変な息継ぎの音が入ってしまって、それが恥ずかしくて私は赤くなった。
もうイヤ…私何かと、すぐ赤くなる…。
須藤くん、どう思ったかな、と泳がせていた目を再び向けたら、またバチッと目線があった。
…今日3回目…。
でも、またビックリして恥ずかしくなったのに、不思議、1回目も2回目もそして今も、決してすぐさま逸らすことは出来ないの…。
何か見えないものに引き付けられるように、私達はただ、見つめあった。