金曜日の恋奏曲(ラプソディ)
『ごめんね。やっぱり今日は先に帰ってます。』
私は、さっき学習室で書いてきたメモを小さく折りたたんだ。
何か理由を書くべきか迷って、でも好きな人がいるとこんな小さい紙切れで言うのは...と考えた挙句、ただこれだけの内容にしたメモ。
折りたたみ傘の留めヒモの部分に挟み込んで、その紙に一目で気付く向きで折りたたみ傘ごとりっちゃんの靴箱に入れる。
罪悪感に軋む胸を、ぎゅっと抑えた。
私、さっき...。
さっき、考えるよりも早く、りっちゃんを拒んだ...。
須藤くんのことをなんとなく秘密にしておきたいから、なんて理由じゃ済まされないくらい、隠すとかいうレベルじゃなく、りっちゃん自身を、拒んだ。
はっきりと。
...でも、ここまで頑なに、須藤くんとりっちゃんを遠ざけたいと思っているのは何故?
そう考えた瞬間
脳へと繋がる扉を
慌てて荒っぽく閉じた様な
感覚。
...あ。
小さく、睫毛が震えた。
...私の心は、その理由を自分自身にも気付かせたくないと、思ってる...。
そう気付いたら、私はやけに怖くなって、踵を返して昇降口で待つ須藤くんの所に駆けて行った。
須藤くんが私の足音に気付いて振り返る。
「…大丈夫?」
多分、この大丈夫には「準備出来た?」という意味と「本当に帰れる?」という二つの意味が重なっている。
「大丈夫だよ。」
そのどちらもに対して、私は言った。
須藤くんは安心したように微笑んだ。
私は長傘を手に、昇降口への数段を降りる。
雨に濡れていく校庭。
それを背景に佇む須藤くん。
皮膚感覚で、緊張が走った。
これから、本当に一緒に帰るんだ、ということが実感として駆け上ってくる。
ドキドキして、いつもの学習室以上に、一挙一動に気を使う。
長傘の留め具を、はらはらと解いてゆっくり広げる事にさえ、息を詰める。
...この傘は、私が小学四年生の時から使っているものだ。
白地にカラフルな水玉が踊っている。
当時は可愛いとお気に入りで、丁寧に扱ってきたから、もう5年も使ってるようには見えないと思う。
それでも、最近は少し子供っぽいこの柄が嫌だった。
…ううん、今は、だ。
昨日まではそんなこと気にしてなかった。
今日は、須藤くんに見られるから。
...こないだお母さんが提案してくれた時、断らずに買い換えれば良かった...。
心の中で小さく後悔をしていると、不意に隣から声がかかった。
「...あ、傘、俺が持つよ?」
差し出された須藤くんの手を見て、それから開きかけた自分の傘を見て、迷った。
私が無理に誘ったようなものだし、私が持った方がいいよね...。
でも、私が断ろうとしたのを遮るように、須藤くんの次の言葉が追いかけてきた。
「...俺が入れてもらう訳だし、俺の方が背高いし、さ。」
...言いながら少し笑っているのは、さっき背の話をしたからなのかな…。
それとも、私が断ろうとしたことに気付いて「大丈夫だよ」って言ってくれてるのかな...?
須藤くんの事だから、きっとどっちもだなって思った。
私との会話をいつも楽しませようとしてくれて、同時に、相手をよく見てくれる聡い人だから。
私は笑みを返して
「ありがとう」
と言った。
須藤くんも小さく頷いて、私から傘を受け取る。
須藤くんが、傘を開いた。
ザアァッ…
雨の世界に顔を出した傘は、あっという間に沢山の雨粒に叩かれていき、あの特有の音を響かせる。
須藤が、右側に私の空間を作って、「どーぞ」と言うように私を見た。
私は、軽く息をはいて、一歩、その傘の中に足を踏み入れた。