金曜日の恋奏曲(ラプソディ)
防弾ガラスのドア越しに里美先生が居るのを確認してから、ドアノブに手をかけた。
扉が開くのと同時に里見先生は何やらしていた作業から顔を上げて、私の顔を見る。
そして、笑顔が弾けた。
「琴子ちゃん!待ってたよ!」
…里見先生にそんな事を言われると、悪い予感しかしないと言ったら怒られるかな。
私は出来るだけ爽やかに笑った。
「あー、何なにその嘘くさい笑顔はー。さては私が何か企んでるとでも思ってるの?」
だめだ。里見先生には勝てない。
作り笑顔を見破られた上、本当に鋭いというこの攻撃力の高さ…。
私は開き直って言った。
「そんなんじゃないですけど…里美先生に待ってたとか言われると、正直怖いんです。」
里見先生はやれやれと肩をすくめた。
なんだかやけに芝居がかったリアクションだ。
「言いますねぇ、長谷川さんも。
だけど、果たして私にそんなこと言っていいのかな?」
そう言って里見先生が取り出したのは…私と里美先生が大好きな作家さんの新刊!?
「えぇっ、新刊出たんですかっ!?しかもハードカバーの長編!?」
私が興奮気味に叫ぶと、里見先生は神妙な面持ちで首を左右に振った。
「それだけじゃあ、ないんです…。」
里見先生が私に本を掲げるように見せたまま、その表紙をゆっくりと勿体ぶるように、捲った…。
そこには
「……直筆サイン、しかも『長谷川琴子さんへ』~~!!??」
本来なら、図書室という場所からは一発退場の大音量で私は叫んだ。
でも、だって、仕方ないと思う。
いくらまだそんなに名が知れていない作家さんとはいえ、こ、こんな…。
私は手をワナワナと震えさせながら、里見先生に尋ねた。
「えっ、なん…ど、なんでこんなっ…。」
脳のどっかがやられてしまったような片言を、里見先生は汲み取ってくれた。
「ふっふっふー…実は、この作家さんの、担当編集者さんと知り合いになって。コネでゲットすることが出来ちゃったの!!」
満面の笑みで、里見先生は言い放った。
「もちろん私の分ももらって、琴子ちゃんなら本当に熱心なファンだから絶対喜ぶだろうと思って、頼み込んじゃった。」
どう、嬉しい?と首をかしげて顔を覗き込んできた里見先生を、私は涙が浮かんだ目で見つめ返した。
…嬉しいなんてもんじゃない。
もちろんこのサイン自体もそうだし、何より、私のことを考えてこんなにも素敵なプレゼントを用意してくれた、里見先生の心が。
「…里見先生…。」
「…ん?」
私の小さい声を聞き取ろうと、里見先生がこちらに耳を傾ける。
「…失礼なこと言ってすみませんでしたぁ!」
もらった本を抱きしめて頭を下げた私を、里見先生は笑った。
例え冗談でも、あんなこと言ったの、後悔だ。
こっちが失礼なことをした後に、その相手に良くされるほど気まずく罪悪感が疼くことって、無い。
「分かればいいのよ、分かれば。」
またふざけたように返す里見先生は、やっぱり、私のことを考えてくれているんだなって。
「大切にします!本当に!」
そう言ったら里見先生も嬉しそうに笑った。
「ちょっとうるさくしちゃったね。じゃ、私はまた作業に戻るから、琴子ちゃん、いつも通り。」
里見先生は、利用表を指さした。
私は力強く頷く。
そうしたら、里見先生はカウンターに広げていた荷物をざっとまとめて、奥の部屋に入って見えなくなった。