恋色紅茶~コイイロ・コウチャ~
いつもの「残業の夜」
『彼』は大抵、夜9時過ぎのオフィスに現れる。
「やあ、こんばんは」
それはきまって私一人の時。
そして更に、残業を山ほど抱え込んでいる時だ。
会社の勤務にふさわしくない、薄手のシャツとくたびれたジーンズを履いた『彼』は、大体開口一番にこう言う。
「今夜も大分抱え込んでいるねぇ」と。
人気のまるで無くなったオフィスにふらりと来て、私の机上を見るなり、やはり今夜の彼もそう言った。
空になった栄養ドリンク2本(巷ではオジサン用とか言われている高級品だ)。
そしてそれを揶揄するかのように高々と積まれたファイル達。
一応、花のОLと言われるべき存在の自分であるが、パソコンくらいしか置き場の無いこの机の有様はとても「花の…」と形容する気にはなれない。
いや、形容している気持ちの余裕が無い、と言った方が正しいだろう。
私は、背後に立った彼を振り向きもせず、つっけんどんに返す。
「それはどうも」
一瞬の暗いパソコン画面に映り込んだ彼は、先ほどの挨拶と同じように、やはりどこか笑いを含んだ笑顔をしていた。
「今夜も残業かい」
「見れば分かりますよね」
「うん、敢えて聞いてみたんだ」
明日午前中の締め切りである資料が、どうしても作成しきれなかった。
その挙句がこのザマだ。
かといって日中のんびり仕事をこなしている訳でもない。
やはり新人と言われる立場では、こなさなければならない雑用も山のようにあって…。
以前、私ばかり残業が多い事情を彼に話したが、どうも彼はイマイチ理解していないようだった。
「鈴木君はとっくに帰ったのにねぇ」
ほら。今だってそう。
鈴木さんが私の1年先輩であることを前にも話したのに、この言葉の有様だ。
「鈴木君は同じプレゼンの班だろう?単純に考えて、一緒にやれば作業効率は2倍じゃないか」
「…ですから、鈴木さんは私の同期じゃなくて先輩なんです」
「ふうん」
まるで気のない彼の返事に、私はいよいよ後ろを振り返った。
無気力な声同様、彼はつまらなそうに肩をすくめる。
少し猫っ毛にも似た彼の髪は、相変わらず美味しそうなモカ色をしていた。
「でも、女一人に仕事を全部押し付けるのは、男のすることじゃないと俺は思うんだけどなぁ」
「………」
「隣、座っていいかな」
「…どうぞ。また今夜も終電まで付き合うつもりですか」
照れ隠しにも似た私の言葉に、彼は首をコテンと傾けてふんわりと微笑んだ。
「駄目?」
その仕草に、私が弱いと知っている故の所業。
「……物好きですね、あなたも」
「それはどうも。ま、君ほどではないけどね」
< 1 / 4 >