吸血鬼の栄養学、狼男の生態学
「俺が、あなたにあの診療所を教えてもらったって言ったから。――覚えてないですか?」
眉を八の字に下げてポケットの中から、彼女から貰ったのど飴を掴みだす。かじかむ手のひらを開いてみせると、少しの間の後――
「あ゛~!あの時の!!」
「やっと思い出してくれた」
彼女の記憶の中に自分の存在が残っていた。たったそれだけのことが俺には奇跡のように思えて、だらしがなく頬が緩むのを止められない。
安堵と嬉しさで、体力の戻りきっていない足から力が抜けいった。
ブーツの足下にクタクタとしゃがみ込んだ俺を見下ろす真澄さんの見開いた大きな目に、力のない笑顔を向ける。
「実は昨日からほとんど食べてなくって……」
隠しきれない腹の虫の鳴き声が、星の瞬く冬空に響いた。
「えぇっと、筧(かけい)君だっけ?」
眉を寄せる彼女を見上げて頷く。
「家に帰って、なにか食べる物はある?」
俺は小さな冷蔵庫の中身を思い浮かべて首を横に振る。入っているのは、表面が黄色くなったマーガリンと、忘れたくらい昔に祖母ちゃんが送ってきた異常にしょっぱい梅干しくらい。
いっそのことコンセントを抜いた方が節約になるかも。うん、帰ったらそうしよう。
小さな決意を胸に秘める俺の耳に、また幻聴かと間違えそうな声が届いた。
「あり合わせだからたいしたものは作れないけど。良かったらご飯を食べていく?」
「ウチ、ここなの」と、タイル張りの5階建てマンションを指差した。
「えっ?えぇっ!?いいんですかっ!!」
勢いづいて立ち上がって性懲りも無くよろける俺を、彼女は細い腕ですかさず支えてくれる。
「目の前でこんなの見たら、さすがに放っておけないでしょ?」
ため息とともに失笑を零された。