吸血鬼の栄養学、狼男の生態学
◇ ◇ ◇
モニター画面いっぱいに映し出された緑色。
「こんばんは」
すでに聞き慣れてしまった声に、オートロックを解除すると、ほどなく部屋のインターフォンが鳴った。
手土産は山盛りの土のついたほうれん草。
「筧君。君の家はほうれん草農家なの?」
「だって、真澄さんが貧血にはほうれん草が良いって言ったから」
「だったら、パセリも持って来なさい」
「え~、パセリって食べられるんですか?」
1DKの狭いキッチンで作っているのは、貧血予防スペシャルメニュー。
『病気とかでなく体質的な問題だとは思うけど、貧血があるから気をつけて』
院長から彼の血液検査の結果を聞かされた私は、週に何度か食事を作ってあげている。
あの日。おなかを空かせた捨て犬を拾ってしまったように、筧君を部屋に上げて食事を与えてしまったのが、そもそもの間違いで。
一度エサをもらった恩を忘れず、ワンコ(筧君)にすっかり懐かれてしまっていた。
「自分で料理をすればいいじゃない。お浸しなら茹でるだけよ」
「嫌です!不味いから」
しかめっ面で即座に返され溜息が出る。このワンコは呆れるほどの偏食家だった。
「しっかりアク抜きしてクリームシチューとかに入れちゃえば、食べられるでしょ?カルシウムと一緒に摂れて一石二鳥」
最近は『サラダほうれん草』なるアクの少ない品種もあるし。もしくは、
「手っ取り早くサプリとか飲めば?院長に頼めば、鉄剤も出してもらえるよ」
「それじゃ、ダメです。真澄さんの作った料理が良いんですっ!」
二十歳過ぎの男子に、うるうるお目々でおねだりされても可愛くはな…くもない。
何だかんだ言いつつ、テーブルに幾つもお皿を並べている自分に苦笑する。
手のかかる弟――いや、息子?
「え?何ですか」
筧君は、ドライフルーツを入れたヨーグルトを突いていたスプーンを咥えて首を傾げた。干しブドウも苦手らしい。
「こんなにいろいろ考えて鉄分を摂らせてるのに、まだ白いな~って」
倒れた時の青さはないけれど。雪みたいな色をした顔の下瞼をグイッと下げて覗き込む。
と、その手首をいきなり掴まれて。彼の顔がほんの数センチの距離にある事にいまさら気付く。
とくん。静かに、けれど大きく胸が鳴った。
「俺の貧血を治せるのは、違うご馳走だから」
「な…に……?」
掠れた自分の声がすごい遠くから聞こえる。