吸血鬼の栄養学、狼男の生態学
「その事なら大丈夫よ。私、一応処女じゃないから」
「……えっ?」
「失礼ね。これでも30年も生きてきたら、付き合った男の一人や二人……。ってそんな事はどうでもいいのっ!」
恥ずかしい過去を暴露している私より顔を赤くしている筧君。
「吸血鬼って、純潔の乙女の血しか吸わないんでしょ?」
「えぇっと、それは――」
言い淀んだ口元を手で隠して目を逸らす。えっ、違うの?それなら、
「安心して。昨日の夕飯はニラとニンニクたっぷり特製手作り餃子だったし、お昼には濃厚豚骨ラーメンを食べたから。なんだったら、ニンニクをネックレスにして首からぶる下げててもいいわよ」
悪かったわね、クロスとかおしゃれな物を持っていなくて。
「……はぁ」
彼はすっかり毒気を抜かれたように、ヨロヨロと玄関のドアを閉めた。
「とりあえず、これでも食べてて」
大量に作り置きしていたひじきの煮物を出して、その間に牡蠣フライと甘辛のタレを絡めた豚レバー丼を作る。
まるで彼が来ることを期待していたかのような冷蔵庫の中身と今日の買い物に我ながら呆れつつ、やっぱり作った料理を振る舞える誰かがいるのって悪くないと、頬が揺るむのを止められなかった。
◇
結局。
それからはまた、以前のように筧君にご飯をごちそうする生活が戻った。
栄養バランスを考え、好き嫌いの多い彼のために工夫した料理は、図らずも私の健康にも功を奏したらしい。長い事悩まされていた『大人ニキビ』が消え、心なしか顔色が明るくなった気さえする。
冬の乾燥にも負けないお肌の感触に、ウキウキとハンバーグに使うマグロの赤身をリズミカルに包丁で叩いていると、鼻を摘まみながら新作『小松菜林檎スムージー』を飲んでいた筧君の声が頭の上から降ってきた。
「ごちそうさまでした」
「うわっ!」
真後ろに立っていた彼に驚いて仰け反る。あれ?こんなに背が高かったっけ。
緑色の物体がへばり付いたコップを片付けに来たらしい。手を伸ばして私越しに流しへコトンと置いた。
なにせ狭いキッチン。呼吸がわかるほど近い背中に彼の温度が伝わってきて、無意識のうちに包丁を握る手に余計な力が入る。
「明日からちょっと忙しくなるんです。だからしばらく、ご飯は要りませんから」
「えっ?」
一瞬手が止まる。気付かれないよう、小さく深呼吸してから言葉を繋いだ。